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~神への帰依の模様を日常からの問答から導き出します~
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あけましておめでとうございます。ご活躍何より、健康で何よりと存じます。

>昨今、霊能師、霊能者、陰陽師の団体が増えて、中途半端な能力を使い、いい加減な遣り方をして、祓いも、浄めも、中途半端で被害者が増えて居る

これは非常な問題だと私も思っています。ただ、私には、陰陽道の何かが知識も手立てもないのですが、明らかに、そして、明白に「嘘者」「偽者」「低級者」がうろうろしていると思い
ます。ミクシィみているだけですら、spiritual なんとか というような書籍をニ、三冊読んだ程度で「その気になっている」危険なやつらの群れが凄いことになっています。

私は、「その気になって」20年経ちましたが、自分には、陰陽道ばかりでなく、神職、仏に遣える身としての誘導される環境が与えられていないことにやっと気づき、その才覚もないことを自覚し、たった今、新年に入って、その旗を降ろしたばかりです。実質そのような活動は当然のごとくありませんでしたので、人に危害を加えたりしなかったことに、胸をなでおろし
私の場合は、空想というものといえますし、「こうなりたい」「こうあるのが自分の本体のはずだ」という強度の自己過信から何者かに取り付かれていたのだと思っています。
新年に、厄払い(厄年ですので)をしてから、4日経ち、そのようにやっと、普通の平凡な人間であることに自覚し、周りの嫁、家族に愛されていること、そのことにやっと感謝できました。

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おはよう&こんにちはです

狐に騙されて,霊能者や超能力者,神の意志を万人に伝えるものだとか,あなたは神の化身だ,これだけお金を差し上げますので何とかしてくださいと金をだまし取ろうとしてきたGPZです(笑)

いやあ朝日が,いや昼の日差しが眩しいですね!

今電車中で急停車したなか後ろにつんのめってしまいました(笑)

今から三回指圧バイトラストの一発目です.
明日も行きまして,明後日は10時から病院夜間受付の仕事の面接です.

たいした給料ではないですが
自分の性格から,時間できちりと交代というのが良いですね.この性格から警備員もいいなと思っています.

たいした才能もないのですから性格として優良な 真面目さが生き,時間通りに終わる仕事につきたいなあ

それで家に帰って映画のDVDを酒飲みながら見まくる

あ~幸せだろうなあ
そうなろう☆
あけましておめでとうございます。ご活躍何より、健康で何よりと存じます。

>昨今、霊能師、霊能者、陰陽師の団体が増えて、中途半端な能力を使い、いい加減な遣り方をして、祓いも、浄めも、中途半端で被害者が増えて居る

これは非常な問題だと私も思っています。ただ、私には、陰陽道の何かが知識も手立てもないのですが、明らかに、そして、明白に「嘘者」「偽者」「低級者」がうろうろしていると思います。ミクシィみているだけですら、spiritual なんとか というような書籍をニ、三冊読んだ程度で「その気になっている」危険なやつらの群れが凄いことになっています。

私は、「その気になって」20年経ちましたが、自分には、陰陽道ばかりでなく、神職、仏に遣える身としての誘導される環境が与えられていないことにやっと気づき、その才覚もないことを自覚し、たった今、新年に入って、その旗を降ろしたばかりです。実質そのような活動は当然のごとくありませんでしたので、人に危害を加えたりしなかったことに、胸をなでおろしています。

私の場合は、空想というものといえますし、「こうなりたい」「こうあるのが自分の本体のはずだ」という強度の自己過信から何者かに取り付かれていたのだと思っています。
新年に、厄払い(厄年ですので)をしてから、4日経ち、そのようにやっと、普通の平凡な人間であることに自覚し、周りの嫁、家族に愛されていること、そのことにやっと感謝できました。
人であるがゆえに生ずる

別れ


人であるがゆえに生ずる死、別れ、憎しみは、人間であることの証明でもあり、人間であることができる最高の芸術である。その味わいを20年間堪能し尽してきた。
しゃぶりにしゃぶって、唾でべちゃべちゃにして、しるしがなくなるくらい嘗め尽くしてきた。

美味しかった。それは美しかった。

一人の人間との別れをここで宣言することになった。

死、別れ、憎しみ、悲しみという人間芸術の味わい、見事味わいつくしたり!!

あまりに、自分で作った物語に深くハマり込んでいるために、
自分が人生をかけて、その物語の主人公を演じているということに、気付けないのです。


罪悪感を感じることが人生のテーマで、ストーリーを書いているとしたら、
罪の意識を感じるような出来事を、次々と作り出し、現実に体験します。

「ごめんなさい」と謝罪するような現実を作り出し、罪悪感が感じられるようにするのです。

ダメだと思っているのに、しょっちゅう酒を飲んだりギャンブルにはまったりして失敗する、浮気をする、嘘をつく、借金をこさえる・・・・などのしょうもない行動をして、周りから責められるような行動を取り、責められる役柄を好演するのです。



有頂天や賞賛などの歓喜がテーマなら、
ヒーローやヒロインの物語設定にしているので、頑張ってほめて貰える様に、乗り越える課題の多い、人生を設定します。



また、悲しみや寂しさがテーマなら、
大切な人から裏切られたり、失ったりして、心が傷つく可愛そうな主人公を演じた人生を設定するでしょう。
恋愛や結婚生活は長続きしないストーリーになり、努力し頑張ったのにもかかわらず、愛する人は去るような現実を体験します。



潜在意識の無意識の部分(内なる神の部分)で人生のストーリーを書いています。
ですから、自分で書いた物語のストーリーを、意識して書き換えない限り、
知らず知らずのうちに人生の慢性的なパターンとして、
あなたがたは、その役柄にはまり、熱演し続けるのです。


どうにもならないほどの問題、にっちもさっちもいかない現実に直面しているのならば、

自分は一体どんな感情を体験しようとして、ストーリーを書いているのか?

そして、その感情を感じることで、何を得たいのか?

どんな利益やメリットがあると思って体験を引き寄せているのか?

などを考えてみると良いでしょう。



過去の失恋からの痛みを忘れるため、

親から愛されなかったという現実を無かった事にするため、

誰かへの復讐のため、

人生なんてこんなものさ!という思い込みを証明するため、

親はこうあるべきだという概念をみせるため、


などなど・・・・・
さまざまな事柄が考え付くはずです。


正しいとか、間違っているとか、判断せず、思いつくことがらで良いのです。


何ゆえに、今の人生のストーリーを決めてしまったのかを、思い出すことが目的ですからね。


あなたの人生の物語、ストーリーは、どんな感情を味わうために書かれたのでしょうか?


ストーリーは全て、自分で書いています。

自分で作ったのです。

ですから、自分で作った物語にはまり込んでいると気づくと、目がさめます。

目がさめたら、違う物語に書き換えれば良いのです。

書き換えは、いつでも、どこでも出来ます。

遅いも、早いもありません。


あなただけでなく、誰でもが、生きている感じや手ごたえを強烈に感じたくて、
何らかのドラマを書き、自分ではまるのです。

ドラマチックで複雑に生きるよりも、
ただ単純に、安定、なぎ、静か、平安、安らぎ、無心でいられることの方が愛や幸福感は強く感じるのにもかかわらず、あえて反対方向を複雑に体験することを選びます。


また、完璧を求めて、複雑化します。

そもそも完璧なものなどは、地球上には存在しませんので、求めてもキリがありません。

完全主義や完璧主義にハマって捕らわれると、単純で簡単に出来ることが、
複雑で大掛かりなことになります。


「まあこんなもんで、そこそこOK。」というような、大らかにゆとりを持って、体験を味わいましょう。

「全部私がやらなくても、誰かがやってくれるだろう。」
「なんとかなるし、なんとかする。」ぐらいの良い塩梅で、人生のパターンの書き換えをして見ましょう。

家族関係や友人関係、仕事、恋愛、結婚などのパターンを手放し書き換えるときには、いい加減の良い塩梅が必要です。


「やりすぎ」に気付いたのなら、
「ただあること」を受け入れて、バランスを取ってください。

真の完全さは、ゆらぎのなかで、バランスよく、自然に見付けられると思います。
↑何か凄い存在になろうとし過ぎでわ…汗(笑)

自然にヒーラーや指圧師になれてやっているなら十分なアイデンティティーのひとつだと思いますよ。

とても努力家で何か追求する方だと感じます。


mixiでこんなメッセージを受け取りました。
私は凄い存在になろうとしてきました。カリスマを目指してきました。霊能者や超能力者になれる才能があるのだと思い込んで今まで生きてきました。

しかし、その才能はないことに気がつきました。

学問の才能があるのならば、中流私立大学など行くこともなく、東京大学に行けたでしょう。

霊能者の才能があるのならば、少なくとも二十歳くらいまでには、なんらかの予知などができたはずでしょう。

中の中くらいしか才能がないことがようやくわかってきました。

少しずつ諦めもついてゆく中で、氷が溶けてゆくような、少し幸せな感覚が湧き上がってきていることを感じます。

両親と嫁と仲良くやってゆこう。

それのために仕事をきちんとしよう。

ただそれが一番の幸せなのだと初めて思うことができました。

これから、新日本プロレスをテレビで見ます。ニコ
神主になりたいと思った。

現実ー家は神社の家系ではない。

よって断念した。

仏に仕える身になろうかと思った。

現実ー家は仏教家系ではない。

よって断念した。

カウンセラーになろうかと思った。

現実ー心理学系を卒業していない。

よって断念した。

哲学者あるいは哲学にかかわる仕事に就きたいと思った。

現実ー大学教授などの知り合いもいない上、教育的な家系ではない。

よって断念した。

現実というのは厳しいという紋切り型の言葉。
それは、こういうことに使う言葉。それが正しい。

やりたいことがやれないのは現実に即していないからである。

高等学校の同級生は先生になっているものが多い。
先生なんて恐れ多くて思っていた。

私なら、先生になれるんじゃないのか。
教職課程を取っていない。取るような心理状態ではなかった。

先生になった人たち。純粋だと思う。

まじめだ。

指圧の先生か。。。。。。

一応先生だ。

不満足だが。

指圧バイト先は、店をたたむとかで今週いっぱいでクビになる。

笑うしかない。

本当に笑うしかないときになったのだ。

陰が極まれば、陽になる。

泣 → 笑

笑いがやってくるだろう。

まもなく。

悲惨な話、自殺などの話、派遣首切りなどの話については、話は聞くことができる。また同情もできるだろう。しかし、最後には何もできないことを自覚して笑うしかないのである。

反対に、

楽しい話は、話を聞くことができる。理解してもらえる。そして最後には共有することができる。

だから、私は楽しい話、たのしい(ただしいではなく)ことだけを考えて生きてゆくことに決めた。


悲惨な話に対してのただしい事を行うというのは、話を聞いて心を痛め、悲惨な現場に黙祷と線香を上げ、葬式に出て、弔うことである。それは俺でもできることである。その先のただしいこととは、道路が不適切なことが原因なら、「道路を適切にする」信号がないことが原因なら「信号を取り付ける」法律が問題なら「法律の整備をする」ということである。これが 「ただしいこと」を行うことなのだが、私には、話を聞いてあげ、同情し、黙祷し、線香を上げて、弔うことしかできない。後者を実現するためには、政治家になる他ないのだが、今までそのご縁があったかどうか。応援してくれる人がいるのかどうか、政治家になるように導きがあったかどうか。

ないのである。

同様に、神に仕える人物となり、過去の因縁、家系的な因縁を取り払うための代表者だとしても、神に仕える身となる導きがあったかどうか。環境的にそのような身代になる誘引があったかどうか。いくら神を信奉していたとしても、志があったとしても、環境や、導き、自分はそうならなければならないのだと、「環境から」示唆されているものがなければならない。私に神に仕える人物としての導きがあったかどうか。

またもやないのである。

類は友を呼ぶという。

不良が不良を呼ぶ(兄貴はそうだった)、神に仕える、政治に仕える、何においても、
私には、「類がない」のである。

これは本当に孤独であるということだ。

本物の孤独が私にはあるということだ。

音楽をしているわけでもない。絵画や彫刻、芸術活動、デザイナーなどをする友もいない。哲学ですら、類として友を呼んでこない。

まったく孤独な戦い・・・・・・

運命を切り開くと簡単に言うが、無から有は生じない。
有がすでに周りを取り巻いているから、「まだ無」である自分に対して、
「そうなれるかもしれない」という「有」の自覚が生じてくるのである。

だから環境を見回してみてください。

引きこもりの方々。
私には、類がありません。周りには、自分の思っている「もしかしてそうなるかもしれない」という「有」がありません。

私のように無になってしまわないでください。

また「頑張れ」という言葉に惑わされないでください。
頑張れということばは、「絶対的に、個人と他人を分けてしまう言葉」です。「私には関与できないが、あなたの志は認めます。ただし、私は力になれませんけど」という突き放す言葉です。あなた方も何度も、何度も、この言葉に突き放されてきたと思う。協力してくれない方々に関わることはありません。それはあなたが「もしかしてなれるかもしれない」「有」を生まれさせてくれる原動力にはなりません。なぜならば、それはあなたにとっての、人生をつくるための環境の要因ではないからです。

仕事をしていれば、同僚から年賀状は来るでしょう。しかし、仕事をやめてしまえば、ニ、三年は来るでしょうが、そのうちこなくなりませんか。
仕事という環境はもはやあなたを形成している環境ではなくなったからです。

私は完全に「無」に落ちてしまっていて、出る術がありません。環境は「あなたならもしかしてなれるかも」という「有」を導き出す環境ではありません。

完全に孤独な中、少しの残された感性をたどり、「楽しいこと」だけをやっていこうと思います。

派遣首切りに対して、同情はできるでしょう。泣くことも。差し入れなどもできるでしょう。しかし、法律の整備や、企業に雇用を要請するなど、さして、雇用してあげるなどできるわけではないのです。あなたが企業の人材採用の立場にある人であれば、考える余地もあるでしょう。しかし、大部分の人は、同情し、最後には弔うことしかできないのです。少なくとも、私にはどうすることもできません。同情はします。同じような立場です。一発逆転して政治家にはなれない。悲しいですが、どうすることもできないのです。

だから、少しの感性をたどって、ただしいこと ではなく、たのしいことをやっていきましょう。
私はそうすることに決めました。

私は兄貴が死んだことに対して、「何もできない」のです。お線香を上げたり、弔うことしかできない。生きていたときの記憶をたまには呼び戻して、楽しかったことを思い出すことしかできません。
宗教者になろうともしましたが、環境がそう導いてくれる環境ではありませんでした。志すことを辞めます。

私は私として生きている。私はそのなかで「たのしい」ことだけをとりあげて生きてゆきます。

指圧はたのしくないので辞めます。会社員も楽しくないのでやりません。
楽しいことを楽しいと感じる心と環境を作り上げてゆきます。
感性を大事にして、たのしいことを大事にして生きてゆきます。



兄が死んだのも、宇宙の摂理によって役目を終えたからなのだと思います。
私はまだ生きている。ということは役目があるということなのだと思います。
無職、だめ指圧師であっても、生かしてもらっている。

宇宙にすべてを任せて、神に御任せして生きていきます。

兄が死んだのは自分のせいか否かなんて、愚鈍の極めたる質問であります。
物事はAやB、○か×かだけではない。背後に宇宙がある。
こんな問いにさいなまされた私は、そのとき悪霊に疲れていたのかもしれない。
ビートたけし初めての伊勢参りを見た。

ありがとうございます。

このテレビを見る前寝ていたのだが生きるや死ぬじゃないのだとわかった。武は『普段お参りする家内安全や仕事がうまくいきますようになんて気持ちが失くなってしまう.宇宙がありその中に立たせていただきましてありがとうございます。というしかないもっと大きな圧倒的なものだ』とコメントしていた.

私も感じた.

涙目になってしまった。

金色に輝いていた.
ありがとうございました。


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迷いや
自己紹介:
19で双子の片割れとなる。不惑にてまだ迷い、
冥界と現実世界を行き来し、いまだに形とならない創造力が俺を圧迫して、不安にさせている。誰からの許可が要るのだろうか。
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