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~神への帰依の模様を日常からの問答から導き出します~
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悲惨な話、自殺などの話、派遣首切りなどの話については、話は聞くことができる。また同情もできるだろう。しかし、最後には何もできないことを自覚して笑うしかないのである。

反対に、

楽しい話は、話を聞くことができる。理解してもらえる。そして最後には共有することができる。

だから、私は楽しい話、たのしい(ただしいではなく)ことだけを考えて生きてゆくことに決めた。


悲惨な話に対してのただしい事を行うというのは、話を聞いて心を痛め、悲惨な現場に黙祷と線香を上げ、葬式に出て、弔うことである。それは俺でもできることである。その先のただしいこととは、道路が不適切なことが原因なら、「道路を適切にする」信号がないことが原因なら「信号を取り付ける」法律が問題なら「法律の整備をする」ということである。これが 「ただしいこと」を行うことなのだが、私には、話を聞いてあげ、同情し、黙祷し、線香を上げて、弔うことしかできない。後者を実現するためには、政治家になる他ないのだが、今までそのご縁があったかどうか。応援してくれる人がいるのかどうか、政治家になるように導きがあったかどうか。

ないのである。

同様に、神に仕える人物となり、過去の因縁、家系的な因縁を取り払うための代表者だとしても、神に仕える身となる導きがあったかどうか。環境的にそのような身代になる誘引があったかどうか。いくら神を信奉していたとしても、志があったとしても、環境や、導き、自分はそうならなければならないのだと、「環境から」示唆されているものがなければならない。私に神に仕える人物としての導きがあったかどうか。

またもやないのである。

類は友を呼ぶという。

不良が不良を呼ぶ(兄貴はそうだった)、神に仕える、政治に仕える、何においても、
私には、「類がない」のである。

これは本当に孤独であるということだ。

本物の孤独が私にはあるということだ。

音楽をしているわけでもない。絵画や彫刻、芸術活動、デザイナーなどをする友もいない。哲学ですら、類として友を呼んでこない。

まったく孤独な戦い・・・・・・

運命を切り開くと簡単に言うが、無から有は生じない。
有がすでに周りを取り巻いているから、「まだ無」である自分に対して、
「そうなれるかもしれない」という「有」の自覚が生じてくるのである。

だから環境を見回してみてください。

引きこもりの方々。
私には、類がありません。周りには、自分の思っている「もしかしてそうなるかもしれない」という「有」がありません。

私のように無になってしまわないでください。

また「頑張れ」という言葉に惑わされないでください。
頑張れということばは、「絶対的に、個人と他人を分けてしまう言葉」です。「私には関与できないが、あなたの志は認めます。ただし、私は力になれませんけど」という突き放す言葉です。あなた方も何度も、何度も、この言葉に突き放されてきたと思う。協力してくれない方々に関わることはありません。それはあなたが「もしかしてなれるかもしれない」「有」を生まれさせてくれる原動力にはなりません。なぜならば、それはあなたにとっての、人生をつくるための環境の要因ではないからです。

仕事をしていれば、同僚から年賀状は来るでしょう。しかし、仕事をやめてしまえば、ニ、三年は来るでしょうが、そのうちこなくなりませんか。
仕事という環境はもはやあなたを形成している環境ではなくなったからです。

私は完全に「無」に落ちてしまっていて、出る術がありません。環境は「あなたならもしかしてなれるかも」という「有」を導き出す環境ではありません。

完全に孤独な中、少しの残された感性をたどり、「楽しいこと」だけをやっていこうと思います。

派遣首切りに対して、同情はできるでしょう。泣くことも。差し入れなどもできるでしょう。しかし、法律の整備や、企業に雇用を要請するなど、さして、雇用してあげるなどできるわけではないのです。あなたが企業の人材採用の立場にある人であれば、考える余地もあるでしょう。しかし、大部分の人は、同情し、最後には弔うことしかできないのです。少なくとも、私にはどうすることもできません。同情はします。同じような立場です。一発逆転して政治家にはなれない。悲しいですが、どうすることもできないのです。

だから、少しの感性をたどって、ただしいこと ではなく、たのしいことをやっていきましょう。
私はそうすることに決めました。

私は兄貴が死んだことに対して、「何もできない」のです。お線香を上げたり、弔うことしかできない。生きていたときの記憶をたまには呼び戻して、楽しかったことを思い出すことしかできません。
宗教者になろうともしましたが、環境がそう導いてくれる環境ではありませんでした。志すことを辞めます。

私は私として生きている。私はそのなかで「たのしい」ことだけをとりあげて生きてゆきます。

指圧はたのしくないので辞めます。会社員も楽しくないのでやりません。
楽しいことを楽しいと感じる心と環境を作り上げてゆきます。
感性を大事にして、たのしいことを大事にして生きてゆきます。



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迷いや
自己紹介:
19で双子の片割れとなる。不惑にてまだ迷い、
冥界と現実世界を行き来し、いまだに形とならない創造力が俺を圧迫して、不安にさせている。誰からの許可が要るのだろうか。
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