~神への帰依の模様を日常からの問答から導き出します~
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「運が良くなりますように」
とよく神社や占い師にお願いすることが多いのは大衆的心理。 しかし、 その人の運が良くなるということは、 需要と供給の関係のように、 だれかの運が悪くなることを前提としている。 これだけみると、 運が良くなりますように。受験に合格しますように などというお願いは 自分勝手この上ないものだといえる。 裏を返せば、「誰かが没落しますように」「だれかがおれの代わりに落ちますように」 ということであり、暗にブラックマジックと同じだと分かると思います。 だれかが失敗しなければ、 簡単に言えば、 事業に失敗して、借金を作ったとしたら、その返済と利子のために「金融会社」は潤う。 金融会社や金貸しが「事業が拡大しますように」とお願いすることは、 「社会的に事業が失敗し、借入金が増えますように」 ということと同じである。 人はそれに気付かず「神は全知全能。私の願いを聞いてくれる」と自己中心的な志向に陥っている。しかもそれに気付いていない。 こういうことをMixiに書くと、必ずクレームメッセージが来るので、考えたことはすべてこちらに書き残すようにしたいと思う。いや、そう決めたのだ。 だれかがベンツを購入できるということは、だれかがホームレスになっていなければならない上に、借入金もあり督促もはなはだしく行われるという図式が成立している。 勝ち組・負け組みと言う振り分けは、あくどいかなさけないか の振り分けでもある。 契約を取るためには、また契約をたくさんとり優秀な社員とならなければ、 契約を取れない人は役立たずの烙印を押される。 向いているとか向いていないという話ではない。 人を欺けるか、嘘を正義として貫けるか、それができないか の違いである。 今さっき、私も自分の不遇さに涙していた。 こんなボロボロの精神状態でも、馬車馬のように働かないと生きていけない社会 当然、嫌になるのが普通である。 当然、他人が幸せに見えるのが普通である。 当然、カネが幸せの根源だと思うのが普通である。 成功するには、人を欺き、いらないものをいるように思わせる心理術など本もあるが、商事会社などでは「アフリカに暖房をうるにはどうすればいいのか」とか考えるらしい。そもそもこんな問いを考えるのが奇抜なアイデアとか、才能とかの指標になること自体がおかしい。 欺けない人ほど自殺をしたり失踪したりする。当然だ。嘘をつけないために、生活ができないわけだから。 「嘘を本当のごとく平気で述べられる人間が成功する」 などという人生指南書を見たことがあるだろうか。 婉曲的に、人に買わせる心理術 だとか 自分の意見を納得させる術 だとか、結論的には上に述べたような嘘を平気で本当のごとく述べられるようになるための、道徳的、人倫的な 素直であれ、人に優しくあれ、などとは逆行している。 それがビジネスという名前で通用している。 俺ははっきりいって、そんなあくどいことと思っているくらいだから、出世はしないのだろう。社会的にも底辺間近だといってもいい。 まじめに仕事をして「欝」になり、嫁様に休業手当の保険手続きを放置されて手当てを切られて、やむを得ず、働くことができるふりをして、ハロワークにいき、失業手当と就職活動をする。 これは、俺がもう少し休んでいたい という正直な気持ちに逆行する点から言っても、「自分の意見を通すには」などという指南と同じ事をされたといっても良い。 俺は、俺で俺の心理があり、葛藤があり、薬を飲まないと手足が震えるという症状がある。それらを一切無視した 強行採決である。 しかし、そんななか仕事が決まって、当然ながら、拡大不安症候群である。 以前食らったパワハラがまたあるのか、徹夜も平気でやらせる会社なのか、 モラルハラスメントなどで無下に非難などされるのか、そもそも通勤に一時間以上かかる肉体的条件が揃っているのか。 だから、家で仕事をしたい。 そのためには、家でできる十分な技術などがあるのか。 あるはずがない。その技術獲得の時間は、神経症状で苦しんできた時間だ。 ノイローゼで頭を割られたような状態だった。 父や母にこのことをいまさら話して、「じゃあ仕事しないで家に帰りなさい」と いわれることもない。父母も高齢になってきている。俺は結婚をしている。 俺が仕事をしないと、つまりは何事も・・・・・・言葉に詰まる 運というのは総量的なものであり、過分・不可分は均衡が取れている。 先日まで、大金の持ち主が、株価の下落でホームレスになる なんてよく聞く話だ。 しかし、ホームレスに近い人間が、大金を得るということだ。 だったら願うのは「俺をホームレスにしないで下さい」と神に祈るしかないのかもしれない。 俺は神がいつもニコニコとしていて光明を与え続けてくれているものと信じていたが、事件があれば、いずれそうなっていたことが今でてきたのだ、とかいうような占い師は信用したくない。神は非情であり、つねに光明など与え続けないのだ。 指令だけを出して「やれ」というようなものだ。 人の負の面を神の信仰で陽に転じられるのは、楽しい人間といる、自分が楽しいと思えることに触れていること以外にないのである。 そういう現実的な贈与もなくして、神様命をありがとうといつもいっている俺は、悪事も起こせない気弱な、貧弱な人間である。 俺はもう具体的に神にいう。 「俺をホームレスにするな。俺を六本木にすめるようにしてくれ。そのために、今六本木に住んでいる人々の 金を俺に回してくれ」 それが世界の平和につながるのかは疑問だ。 世界の平和は戦争がなくなり、統治が行われ、余計な人は罪人として断罪され殺され、民主的な政治状態が整うことを言うのだ。 つまりは、もし為政者が神を信じて板のにもかかわらず、断罪されたとしたら、 そこには「神への恨み」が当然残るだろう。 「神は呪ってはいけません」と宣教師は言うかもしれない。 それは神を中心とした理念体系が崩れること、すなわち宣教師の存在の可否に関わるからである。神を否定されたら宣教師はいる必要がない。転職しなければならない。 そこに神を巡る歴史的な、人為的な 為政がおこなわれていることも覚知しなければならない。 神 神よ我を助けたまえ とは、飢えて死にそうな状態に、食事を与えることでもアリ、地震の起こってしまった地域への物資の配給である。しかし、根本的には、個人の力では壊滅的な打撃を受けてしまった地域の復興はムリである。人と人との救いあいは、自然災害によって発露される。しかし、個人的な願いやビジネス的なことがら、 ホームレスが生きるには、という問題には、神の信仰が大社長にさせてくれるものとは限らない。 俺の借金、毎月壱万円返さないとならない。 失業保険からとることはできない。 神よ俺の借金をなんとか払うことのできるように、 カネをおあたえください。 この願いが通るのか。 通るなら通してほしい。 自分の責任だから自分でケツをふけ という神の返答なら、俺は無神論へ逆戻りするだろう。 運とは誰かが得すれば、誰かが損をする。 その得だけくださいという勝手わがままな願いなのである。 神がそれを聞くのかはわからない。 クリックしていただけるとやる気がでます。 ![]() PR ![]() ![]() |
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