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~神への帰依の模様を日常からの問答から導き出します~
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没落が何年も続き、望みどおりの人生にならないと人は神を頼るか神秘的なものに依拠するようになる。

占いから始まり、タロット、そして中国風水、方位学。
これら未知の示しというものは、
カール・ヤスパースのいうような「神の暗号解読」であると俺は考えている。
いや、そう信じていると行ったほうが良いかもしれない。

物事には意味があり、すべては必然でつながっている。いや、偶然だ、と考えから逃れたい意思もある。なぜなら、論理的必然、因果関係的必然として兄の死が自分の人生のなかで結論がついていないからだ。

たとえば、必然が悪的状況になったとした場合、仏教的にはカルマや因縁によるといい、方位学では大凶方位の連鎖だという。

カルマが原因である場合は、人に施しをし、お布施を熱心にし、念仏を唱えすべてを受け入れるようと説法される。

大凶方位の連鎖が原因であれば、年の大吉方位へ四泊以上し、厄を落とすと、吉方位が潜在的な細胞単位での能力の最大発揮がなされるという。また、その場合、金持ちであればあるほど、休みを自分で取れる状況を作れ、大吉方位に行くことができることから、金持ちはますます金持ちや人脈に恵まれる、という。

兄貴が死んだ原因を俺自身、様々考えてきた。

俺自身が大学に行き始めたときに兄は死んだ。スンドメを食らったようなものだ。スンドメパブがあるというが、行きそうな時に、パッと離れる。もやもやとする。半分怒りにも近づく。俺がスンドメを食らったのはなぜか。それは俺が大学という費用のたくさんかかることをしようとしたから兄が家から学費をだすことを不安がってその保険金で大学にいけるようにしてくれたのか。
ならば、大学に行こうとせず、高校を卒業して就職すればよかったのではないか。という概念。

兄は実は純粋無垢であり、俺のように大学でモデルもやり、オンナをとっかえひっかえしようと考えていた事実無限の悪いカルマ拡大の欲望がなく、現実世界に嫌気をもたらしていた。優しい人ほど早く死ぬというカルマの視点。俺の大学に行く本当の目的が、オンナと遊びたいということにあったことを知覚させるために兄を殺したという視点。これは自責と自傷に繋がっている。

兄が大凶方位を繰り返し取ったための最悪の結末として交通事故にあったという方位学の視点。これは事実調べてみたが、そのようには考えにくかった。

ここでは三つくらいしか上げていないが、様々なことを考えて来た。
二十歳そこそこで、人生の分岐点を味わってしまい、楽しいはずの大学生活は、一転し、半ばノイローゼ状態の大学生活を送らされた。あれだけ勉強してやっと手にいれられた自由。それが不自由に変わった。
自分の決断によりノイローゼを選択した訳でもないが、「貴方と付き合いたい」というオンナから離れるようになってしまっていた。彼女を持ったこともなかったのに、チャンスを捨てて捨てて捨て去ってきた。裏には自分の困惑している状態すら理解できない奴と付き合えるかと怒り半分混じった人間関係。それが今も続いている。

何をもってしても、兄が死んだことで、俺は自分の欲望をかなえられるような性格からはかけ離れてしまうことになる。経済学部に入学して国際関係学というものを学びたいと思っていた。将来は商社に入り、海外を飛び回る仕事につきたいと考えていた。
もちろん、その当時は、単に希望というものであり、仏教的な考えや哲学的な考え、方位学的視点などもちあわせていない。兄の死と引き換えにこれらを獲得したのか。そうなれば、これらが必然に学ばされることであったのか。

因果関係という言葉がある。社会科学でもこの因果関係は大事な要素であり、原因と結果との相関関係を歴史社会的な視点でとらえようというものである。
資本主義という概念は、プロテスタントの富を蓄えることは神からの祝福であり、神に人生が神の意図するように進んでいることを示す救いの免罪符である。貨幣は免罪符としての意味を持っている。というのがそれだ。

方位学もやってみた。占いの通りラッキーナンバーにかけてみたりギャンブルもしたりした。うまくは行かない。占いの言うとおりのことをしてみても、なかなか思うようにならない。今回仕事に就くことになっているが、これも因果関係があり、兄の死を超越するような完成形としての出来事なのか。多分違う。

兄が死んだことは、悲しみもあるが、仏の意図を学ぶための出来事であったとしても、それに起因する経済という貨幣がもたらす免罪符は与えられていない。
哲学や倫理学、占いなどで飯を食っていけなかったのは自分に劣点があり、まだ学びが足りないという意味か、それとも違う才能があるのにもかかわらず、死や哲学など形而上学的な空中楼閣を描いている時点で、神の意図から外れていることを示しているのか。

懐疑としてこれらはかなりの容量を持っており、これだけを考えても一生が過ぎてしまう。しかし、それをしている限り、結婚や就業などからどんどんと離れてしまう。子供の頃から思っていた「車を買いたい」「海外旅行に行きたい」など現実世界の欲望からも離されてしまうと思った俺は、結婚をすることにし、嫁を得て、仕事を思い切ってすることにした。

しかし、潜在的にどうしても向いていないように思う。こんな思考状態が毎日続いて、無限地獄とも生きる屍ともいえるようなものだから、現実生活すら送るのが辛いのである。しかし、自身で仕事を作り出す脳の潜在的余力はないようだし、一発逆転の切っ掛けも見当たらないできた。そして、体たらくなサラリーマンを選択する以外に道がないような状況になっている。

意図と事実は何がどう絡んでいるのか。俺の意思や意図は無視され続けてこれからも生きていくのか。
これについてはどの友人も話をすることができない。そこに孤独が存在している。
この孤独がある限り、他人とは生涯交わることができないだろう。


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