~神への帰依の模様を日常からの問答から導き出します~
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キルケゴールの入門書を改めて買おうかと思ったが、ムダに小遣いがないので、辞めて、松浪信三郎の「実存主義」を読んだ。
昔よく読んだ本で、改めて納得。。 フッサールの本は原本など興味がない。よい解説書があればそれでいい。 概念が知りたいだけなのだ。 キルケゴール「私が実存を思考するならば、私は実存を消失させる。けれども、実存を思考するものが、実存する。実存は思考と同時に置かれている。」 有名な宗教的実存で「何時は躓く(つまづく)か、それとも信じるか、いずれを決断すべきである」キリストはこれ以上にいうべき言葉を持たない。 ハイデガー 現存在は、日常にたいらくしている。世界内存在の中で有限である事を知ることから実存は始まる(意訳) 私は、どちらかというとキルケゴール、パスカルの方が会っているような気がする。 キルケゴールはハイデガー曰く「実存的ではあるが実存論的ではない」ということであるらしい。生きるか死ぬかは実存ということである??? 神の前につきつけられる「躓くか信じるか」の命題を前に、どちらかを選ぶしかない。生死の問題と置き換えられないけれど、実存というのは存在している自分が、自己自身となって考える事と、行動とにただすすむだけである。 果たして、腐敗した形式的な倫理観や形骸化した習性によってただ生きているのみであるのだろうか。私は、実存するかしないのか、という選択にたたされている。 実存を信じるのか否か。 むろんではあるが、信じるつもりでいる。 PR |
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