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~神への帰依の模様を日常からの問答から導き出します~
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やっとの事で回復してきました。パソコンに向かうことができるようになった。。。

寝不足は相変わらずで、何を飲んでも三時間後には目が覚めてしまう。

だるさはややあるものの、動くことができるようになったのは嬉しい(  ̄ー ̄)

明日はメンクリなので、先週ぶっ倒れていた事を報告して、今はやや大丈夫だといっておく。ぶっ倒れているときは介護が必要だーだれか私の気持ちを分かってくれーと
思っていたが、こんな経験二度としたくない。あのまま手足がだるくて動けないなら、
最後の力を振りしぼって死を選びたいと思うこともあるのじゃないかと考えた。

自殺念慮はないので、いいのだが、心の辛さは死を選ぼうとするかもしれないことを自ら持って体験した。

介護という仕事もその必要性は良く分かった。しかし、日本国の介護は重労働・低賃金という始末。高い理念をもって職についても、一年で三割が辞めてしまうそうだ。

高い理念は大切だ。
俺も、医療には高い理念、哲学として理念を持ってやってきた。
しかし、狭い了見ーそもそも会社という組織に雇われてそれを実行しようというスタイルそのものが、狭いーのなかで、達成感や責任感を果たしたという満足感は、
一体どこで得られるのか、ほんとうにわからないでいる。

食わせてゆくために、精神がなくなっているのに、又は精神が消えかかっているのにも関わらず、医療の仕事に就く。

そこには少しなからずとも、大望や望みや理念の存在は必須ではないのだろうか。

高い理念だから成功するともかぎならない。
人は高い理念を持つ。
高い理念は成功するとも限らず、人を騙したりコロしたりしているやつらが金をもうけている。

俺のマインドは修道士のようなものだ。
寄付金で生活し、困っている人間を助けてゆく無限の愛。

言葉で書いたところでなんになるだろう。
寄付金チョウラィ!щ(゚▽゚щ)

ということばかり気がかりの、雨漏りがしている修道院の責任者のようだ。
ただ、受けよ。

受け取り整然としていなさい。

それが寄付のもらい方だ。

あれも買おうこれも買おうとか、キャーとか喜んでいてはいけない。

修道士たるもの寄付が少なくあろうと多くあろうと、神に使える身分として
社会に生きているのを片時も忘れてはならない。

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NinjaGPZ
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男性
職業:
迷いや
自己紹介:
19で双子の片割れとなる。不惑にてまだ迷い、
冥界と現実世界を行き来し、いまだに形とならない創造力が俺を圧迫して、不安にさせている。誰からの許可が要るのだろうか。
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