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~神への帰依の模様を日常からの問答から導き出します~
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子供が少ない日本を考えてる時がある,

自分達もその原因を作っている要因だが、

逆に仕事に就けない要因の不景気を作った訳ではない.

才能や要らないものを売り込みする営業の才能等ないのは認めるし,

目が悪くて車の仕事は出来ないしそのまえに

Bike事故で双子兄を亡くしている怖さ!

いつも不幸が襲い掛かるのだとおもえている心理!

誰にも分かるまいに!

両親ですら判らないのを面接だ?嫁だ?

自分と神との秘密の約束なんだろうか・・・・・

神との前世での契約だったのか・・・

やはりさまざま
考えます
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やっぱりこのままだとまずい(^-^;です

仕事を…と思うんだけどニャー全くあてがない…

汗だけでるだけ

神様

どうすればよいのでしょうか嗚呼

嫁とも空気わりーです…泣けてきます
私が仕事に就いていて働いていたときは、「家事をしろ」「飯を作れ」なんて言わなかった。もちろん今は無職なのでそんなこと言う権利がないのは知っている。

しかし、私がリストラにあい、無職になって、二ヶ月、腰痛は楽になったとはいえ完治していないのにもかかわらず、彼女はこういった。

「稼いでいない人間は手伝うのが当たり前だ」

今月は、ヨメの内職の貯蓄を使って生活している。
私たち共通の貯蓄は、先月で使い果たした。

そのとたんに、「稼いでいない人間は」とか「私の金」を主張する。

俺はこれからまた就職したときは同じように

「稼いで家に金を入れていない人間は、家事を率先してやれ」
「家に金を入れていない人間は、掃除洗濯は、自分の内職よりも優先してやれ」

と言っても良いということになりますよね。

悪いけど、今まで、さっきも、あの一言でカチンときたんだけど、

習性的に何も言わないことを、我慢を覚えてしまっているから、言わなかったけど、
今度からはこういうようにしよう。

「内職して家事がおろそかになるなら、内職なんかやめてしまえ」

神は耐えることはないといっていますか?
ギックリ腰の調子がだいぶ今日一日でグッとあがりました。

とりあえず、マッサージバイトを始めましたので、こういうことは仕方ないことなんです。

ただ、大学を出て、哲学科に行って、中退して、マッサージ学校にいったという経歴は、一般企業向きではないのではありますが、自分としては信念があった。

しかし、今日はいつも前向きなのに、後ろを振り返って眺めてみたら、後悔してしまいました。

哲学科を卒業して、外交官になればよかったな。

医学を学びたいという気持ちは余計なエゴだったのかもしれないと思い、苦しみました。

腰痛緩和のために午後睡眠をとっていましたら、

「神の義を求めることは、誰にでも与えられているものである」
と言葉を聴きました。

安心しました。

求めていいのだと。神は私のエゴを赦しくれたんだと、そう本当に思いました。

人の三倍学問をやってきたつもりです。

それが無職だとか、マッサージしてヘルニアになったなんて、この状況、悲惨すぎています。

三倍でダメなら、聖書を通して四倍五倍にします。

それが私の今の心です。

危急の時、


「今からは妻あるものは妻のないもののようにしていなさい。泣く者は泣かない者のように、喜ぶ者は喜ばない者のように、買うものは所有しない者のようにしていなさい。世の富を用いるものは用いすぎないようにしなさい。この世の有様は過ぎ去るからです」

「あなた方が思い煩わないことを私は望んでいます。 ・・・ しかし、結婚した男は、どうしたら妻に喜ばれるかと世のことに心を配り、心が分かれるのです」


婚姻についてどのように書いてあるのかと思っていましたが、神は聖書を通して、今この危急の事態である私の状況に対して、上のような所を見せてくださいました。

いろいろと特に、仕事について煩っており、またウツでもあることとは、その原因が「妻を喜ばせようとしているからです」と書いてあります。

そのとおりです。年収800万あれば、ヨメに自由に買い物も少しはさせて上げられるとか、子供も育児できる、とかヨメ主体のために自分の首を絞めているのです。

現実として年収800万の仕事に就くことは、自分の才能というものに制限をかけないとしても、可能なのか分かりません。

「私がこういっているのは、あなたがた自身の益のためであって、あなたがたを束縛しようとしているのではありません。むしろ、あなたがたが秩序ある生活を送って、ひたすら主に奉仕できるためなのです」

主の元にあり、素直であること。神がご縁をもたらしてくれるよう祈り、最大限の行動をとること。そうすることが大事であり、「思い煩らっている」この状態から脱却できるとあります。

「ヨメは夫が生きている間は、夫に縛られています。しかし、もし夫が死んだなら、自分の願う人と結婚する自由があります。ただ主にあってのみそうなのです」






実は、昨日、ヨメの夢のために、自分が何かで死んでしまうように、と思いました。
そうすれば保険金で、ヨメは自由に暮らせて、事務所も構えられるでしょうに、と思いました。と同時に、限界です、神様、とも思いました。

心の準備はできました。

腰痛のために教会には本日行きませんでした。
昨日飲んだ睡眠薬がどうしても(ユーロジン)、からだからも抜け出ず、
今しがたやっと起きられるという状況でした。

寝返りを打つとズキとするという状況、少しずつ緩和してきています。

神が治る力を与えてくれているのです。

本日いけませんでしたが、それは罪になるのでしょうか。

行けない時は無理をしない。腰は体軸のかなめであるから、

悪化した場合は、大変であります。

聖書のどこを解説してくれたのだろう。牧師さんは・・・

仕事ってどうやって探すんでしたっけ?

あまりに現実の鬱積が多すぎて、

基本的なことがわからなくなっているようです。。。。。


仕事探しは「縁」です。といいますね。「縁」が「円」を呼ぶとドクターコパはいいますね。

縁が乏しい私は、「円」にも恵まれるわけがありません。

だから「en」とかいう求人サイトでも

縁と書いているからといって、縁に乏しい人

またはそもそも、職歴や経歴が普通の人よりも変わっているから

四十というマイナス要因も加わって、

デスすはいらる です

やはり二十台で終身雇用の制度はすばらしかったですね。

それを壊して、なんというのですか? 実力主義? 運重視? になった社会

そもそも経歴から言えば、自分の実力を信じてきたから、また

エマニエル・カントのいうように 道徳律「汝がそれをなすべきことをなせ」

「金が入るから●をやる」という仮言名法によって動くなかれというのを

私自身実践してきたんだなあ、と思っています。

社会はよくわかりません。

社会のせいにもしていません。

仕事に就くことは社会に着くことと同義でしょうが

それができない人も存在している 
とずっと分かってほしかった。

分かってお金もくれればなおいいんですが!(悪の権化と化しても素直になる)

分かってもらえず、お金ももらえない=生活できないので、死になさい

のは不幸の不幸です。


しかし、私には聖書があります。
教会に行くからよいのではなく、
心に神を

つねに良いときも悪いときも、神はおられる。

牧師さんは婚姻のときにいいます

「良きときも悪しきときも互いに愛し、助け合えますか?」



またヨメにいわれた

「あんたはどうでもいいから早く就職してくれ」



ワカッテイルッテ!!!!!!!!!■■■



頭にくる。

頭にくるから薬を飲んで自制しようとする。

聖書は自制のための書ではなくて存在している。

リラックスのためのものじゃない


時の流れと運が仕事につながるのだと思う。

今は流れが悪すぎる 人生の流れ 終末的な感覚を持っている

だから助けが必要なのだ

その助けは、残念だが

ヨメではなく、

聖書になっている。

本当は

「あなたに無理をしてまで働いてすぐやめられても困る」

などといってもらいたいが、


近い人ほど遠いのだ

そしてそれを体験して魂の成長の学習として 婚姻がある

百鬼夜行しているんだそうです。

我が「部屋」は

目で犯すことは、すでに犯したことと同じである

というけれど、そんな余裕もちたいです

昨日もマッサージに出向き、結局腰痛になってしまった 。

それでも揉まないとお金にならないのでやっていたら、ひどく疲れてしまった。

マタイの福音書 11-28

「すべて、疲れた人、重荷を背負っている人は、私のところに着なさい。私があなた方を休ませて上げます。」

これを読んだとき、本当にやすめるんだ、やすませてくれるんだ、と思いました。
安心したのです。

ありがたく、腰痛もある中、今まで寝てしまっていました。

それから弟子たちに言われた。
「だから私はあなた方に言います。命のことでな何か食べようかと心配したり、からだのことで何を起用かと心配したりするのはやめなさい。命は食べ物よりもたいせつであり、からだは着物より大切だからです。鳥のことを考えて見なさい。蒔きもせず、刈入れもせず、納屋も倉もありません。けれども、神が彼らを養っていてくださいます。あなたがたは、鳥よりも、はるかに優れたものです。あなた方のうち誰かが心配したからといって、自分の命を少しでも延ばすことができますか。こんな小さなことすらできなくて、なぜほかのことまで心配するのですか。


何はともあれ、あなたがたは、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは、それに加えられてあたえられます。小さな群れよ。恐れることはない。あなたがたの父は、喜んであなたがたに御国をおあたえになるからです。



不安にさいなまれて行動をとる。こういう行動はえてして、無駄打ちしてしまうことが多い。不安ではなく、

「なにはともあれ、あなた方は神の国を目指しなさい。そうすればこれらのものは、それに加えられて与えられます」

まことに恥ずかしく、小さい自分が、嫁に就職が一番だと言われたからといって、人材紹介会社へ応募をあせってしてしまっている小ささにあきれてしまう。

神の国をもとめればよいのである。
書いていて非常に情けなくなってくる。縁はめぐってくる。カラスが種を蒔くことができなくても、神は見守っていて、子孫を増やし生かしていてくれている。

神の国を求めよ。

それが自分にいま最も必要な信仰心だ。
聖書を読んでまだ日が浅いためか、無形の神に対しては、信仰心があるつもりではあったが、「この欺瞞野郎である私」は、神から信仰心があるつもりでいると見抜かれているのだ。深々から神を求められていない。俺は。

しかし、それでも神の国を求め、聖書に引かれてゆく。
今はそれでいいのかもしれない。

アーメン
感情のつらつらもかいているので、神の元にあるものとして不適切なことも書いているのかもしれません。

今嫁と話しました。

「とにかく何があっても会社員になるべし。四十だからといって勤め先がないということは絶対にない」

と強い言葉を頂きました。

それで思ったのがひとつ。
散々迷惑かけてきたマッサージ屋での働くことを週に3回にしておく安全策をとるべきか。

今まで兄が死んだことをきっかけに医学の道を選んできたのですが、また、医学の道の延長で治験の仕事もしてきたわけなのでもありますが、ぜんぜん幸福というか、金銭的に恵まれてこなかった。だから、兄の死を基にした医学の道は人類へのサービスとでも位置づけをするにとどめておいて、
何の会社でもよいから、会社員になって嫁も私も路頭に迷わないように、
業種を問わずして会社員になることに、さらに情熱をもって進めてゆこうと思いました。




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19で双子の片割れとなる。不惑にてまだ迷い、
冥界と現実世界を行き来し、いまだに形とならない創造力が俺を圧迫して、不安にさせている。誰からの許可が要るのだろうか。
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