~神への帰依の模様を日常からの問答から導き出します~
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今日も朝から頭がずきずきしている。
やはり、長年飲んできた薬がなくなったためだろうか。 酒も飲んでいない。タバコはすっているが。。 この頭痛は、神の何を意図しているのか。 新しい考えを入れなさいということか。 薬効薬理作用の禁断症状か。 科学と信仰 この間に何かあるのだろうか。 人材派遣についに申し込まざるを得なくなった。 時給千四百円。 これともうひとつ、事務を申し込んでみた。 ・・・・・・・・・・・・・・・ マッサージを金銭授受のためにしないことを決めた私は、 真空かつ虚無の空間の少しを悪魔に売らなければならないのか。 聖書に「自分の土地を売って、一部を自分のために残したものの夫妻が、 なくなったという」記述がある。 私が人材派遣ででも働かなければならないということはこういうことも意味しているのではないのではないか。 信仰そのものに生きられればよいのに。 神よいくばくかの財とはいわずも、生活のためのお金を稼ぐことを許したまえ。 仕事についている一瞬も神の事を思い忘れることはありません。 「仕事は忙しい」「アットホーム」とかいていてたが、 人の助けとして考えているので、ネットがつながらない人のためになればよいが。。 頭が痛いので、また改めて記述したい。 PR ![]()
日用の糧
新約聖書マタイ6章9〜13にあるように、使徒信条として礼拝で必ず復唱する中に、
「我らの日用の糧を今日も与えたまえ」と。 信仰において生活のための仕事をして得た報酬は正当なものです。 俗世間から離れることが信仰に入ることではなくいつも私達が神に近づく為に精進するのではなく、神(父)が共にいて下さるようですよ。 一方的に与える神です。苦しみも喜びも神の手の内なのでしょうか? だとしたら私達は生きるということを知るために?生かされているのか。ゴールに幸せなど限定せずとも今はじゅうぶんに思えます。 たわいのない独り言ですいません。
無題
コメントありがとうございます。「家族が困らないだけの食事を与えたまえ」が頂きます という言葉という感謝であることを考えると、信仰を持ちつつ仕事をすることは、それそのものが信仰生活であるということになるのだと今、思いました。だから、悪魔に魂を売るのではなくて、信仰とともにある生活の一部(洗濯や掃除)と同じなのですよね!
聖書はまだ日が浅いので、あちらこちらと拾い読みしていたりします。しかし、もっと早く出会っていれば、すべてはここに書いてあったんじゃないか、と(半端ながら)思っているところでもあります。またコメントお待ちしています。 ![]() |
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