~神への帰依の模様を日常からの問答から導き出します~
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幸福とは、目に見えないものと目に見えるものとがある。
目に見えないものとは、日々の近親者の生存であり、日々の食事が与えられ、天がおちてこないことである。 目に見える幸せとは、仕事が決まることや、恋愛に恵まれること、楽しい話を聞けたことなど、である。 そこに金銭が獲得できたというのはない。 金銭というのは、幸せのための道具であり、面接に行くことができることそのものが幸せなことであるのである。 金銭が大量に必要であるときに、金銭が獲得できたときは、有頂天になるだろうが、その反面、大きな虚無が潜んでいると考えてよいだろう。 その差異によって、幸せのためのお金が、不幸へと転じることもあるのである。 幸福とは、今ここにすでにあるものに対して感謝ができることである。 未来に対して望むことは、欲望であり、それは捨て去られるべきものである。 未来にお金が大量に入りますように、という願いは、自身が両足を失うなどの等価交換の引き換えが必要である。 それはそうである。不自然な流れでお金を獲得したいと思ったからである。 だから、自然でいること、神の前において素直であることが、大事なのである。 必要なお金は神が回してくれるのである。 アーメン PR ![]()
無題
日曜日の主日礼拝はどうでしたか?
平安が少し訪れたでしょうか。 お金=欲望をもっていること。 ひきこもりにとってお金があれば外に出れて買い物も出来る。お金は目に見える欲望は満たしてくれます。 けど、先日教会にての話し「人には物や人では埋められない大きな穴があいている」とのこと。 まずは神様でしか満たすことの出来ない目に見えない永遠に減ることのない満たしがお互いにありますように。
有り難い言葉感謝します
金や物で埋められない大きな穴とは孤独であり一人で死ぬことであり,虚無でもありますね.確かに神によってしかうめられませんそんな空間ですね.私は物心あまり恵まれてないなからか反って虚無は広い気がしています.だからこそ神の場所が確保されているとも思いました.またコメント下さい.楽しみにしていますね。
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