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~神への帰依の模様を日常からの問答から導き出します~
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「あなた」

あなたには、両親がいて、祖先がいて、友人がいるはずである。
その人、一人一人が、「あなた」に経済的にも、心理的にも、支援してくれているのであるだろう。

その遥かかなたからの恩恵を受けて、部長になっている人、役者になっている人、経済的に困らない状態の人、さまざまいらっしゃる。

その人たちには社会に対しての、貢献をもってしても十分に、祖先、両親、友人などに御礼はできているだろう。物質的な、また精神的なお返しができれば、更に御礼は深まるだろう。

だからそのままでいいのです。

私にも祖先がおり、両親がいて、仲間がいる。

「あーあ、仕事決まらないかなぁー、」

という気持ちのとき、携帯電話がなる。。
「あんたに仕事頼みたい人がいるってよ」という内容の電話。。

これは漫画のようなこと。

実際は、電話もならなければ、転職サイトもスンとも言ってこない。
占いなどは曰く「あなたの前世のカルマが・・・・現在の結果になって帰ってきているのです」とか「祖先を大事にしていないからです」とか「方角が悪いのです。悪い方角ばかり行ったからです」など

私には、人生の師匠という存在はいない。
師匠の下、人生の訓辞を受けました、技術を学ばせていただきました、など美しい話である。

田舎から出てきて、師匠ともめぐり合わず、学問といっては、学校の中で閉じこもり、井の中の蛙大海を知らず の状態なのだろうか。

まず人とかかわりなさい、ボランティアでもなんでもよいのです。

などともよくいうて定例文句だろう。

ボランティアできない、人とかかわるにかかわる人がいない、人とかかわるに、人前に出られない、いわゆる、人望がないとでもいうか、人の輪の中に入っていけない、人と会うには金がかかる、見ず知らずの人に自分を理解できるはずはない、などなどと思っている人も多いはずだろうし、私もそのうちの一人である。

物的に、金銭的に、まずなんとか問題がないならば、ボランティアなどやセレブパーティーだろうが、参加はできるだろうし、そうすることで友人もできるかもしれないだろう。

しかし、逆はどうだ。ボランティア精神はあっても、物的に、金銭的に問題がある場合は、まったくもって人とせっしなさいは、「コンビニの店員さん」「スーパーのレジのお母さん」くらいしかないはずだ。

それでも生きていることにはなっているのだろう。人と接点を持っていることになるんだろう。

思い起こせば、大学入学後、自分でもそうしようと思っていたのではあるが、花開くはずだった私の大学時代、いや、青春時代、人と人と様々かかわり、いろいろな縁が開けたはずだった。
入学直後、兄が死んで、それは無に落ちたとしか言いようがなくなった。

人と会うことが怖い。大学でも何か人々は浮かれている。私は喧騒の中の一人の立ち尽くすことしかできない存在だった。

人生の指南をしてくれるもの(師匠)との出会いはまったくなかった。
もしあったとしても、私には、無から脱却する術を述べてくれる人物はいなかった。
それ以外の、大学時代、モデルもしたかったとか、アルバイトに精を出してみたかったとか、そういう導きはあったかもしれない。

師匠はいない。天の言霊かと思われることは、狐が話しているのではないかと聞くことができない。どれが直感なのか分からない。自分で自分を慰めるための言葉を頭で浮かべて、なんとか生きてきたのかもしれない。
だから、そんなありかたの自分には霊感はないといいたい。

よくある「霊能者」の自己紹介にあるような「幼少より霊をよく見ていて・・・自分はこの世界で生きるのだと決めた」というようなことはまったくない。

社会と自分との接点に絶望したとき、人は引きこもる。
自分の内面と過去との格闘をはじめる。

そこに神との対話と軽々しくいうようなことはなかなか起こらない。

神が「汝生きよ」と言うときは、嘘ではないかと思う。

もし霊能があるのならば、それは「雰囲気」で感知するものではないかと思う。

哲学、指圧、この二つがこれまでの人生の俺のキーワードだった。

実業にもよらず、学問的な成果から社会的な結果を導き出せないこれらのもの。

哲学自体は人の死を避けよとはいえない。人の死を受けよという。
指圧は人の死を避けることはできない。病も治せない。一時、命が回復したようにするだけしか能がない。

どちらも、社会性に乏しく、金銭、物質から隔絶している。

望まなければ必要なものはすべて与えられる という。
それに感謝をするのだ、と更に言う。

哲学、指圧ともに「無」の共同体に属する。

何もない。

何も望めない。

私は何を望むのか。父母の命が天寿をまっとうできるよう。祖先の供養もしっかりとやりたい。嫁や生まれてきたい子供を不自由なく十分養ってゆきたい。借り物の家はもう嫌で、自分の家を持ちたい。仕事を持ちたい。

これらを望まなければ、得られるのだろうか。

このなかに、仕事を持ちたいという望みが入り込んでいる。仕事を望みすぎるから仕事が与えられないのだろうか。

年収八百万円は望みたい。
望まなければ与えられるのだろうか。

無であれば、人から頻繁に連絡が来て、人から仕事の話が来て、いずれは年収に困らないようになるのだろうか。

私は、体力的には自信があまりない。幼少のとき、しょう紅熱を出して、入院し、家は洗浄消毒されたという。雪国生まれであるくせに、寒さに弱く、小学生のころは、毎月一度熱を出して学校を休んでいた。中学時代は、ガリガリにやせていて、虚弱体質だった。受験勉強を必死でやってーそのときから既に俺は勉強で一番をとらなければならないんだと思わされていたー高校に入り、ガリガリの自分に嫌気が差して、バーベルセットを買いたく、新聞配達と学校とバスケットをやり一日三時間睡眠をしていたら、急性腎盂腎炎になって、高熱を出して、すべてとまった。手元のわずかのお金で、バーベルセットを買って、少しずつ健康になってきた。力と筋肉がついたのは楽しかった。大学ではボディビルをやろうと決心していたが、兄の死によって、ウツと人が怖くなって、予定的積極性が沈うつ的消極性に入れ替わってしまった。
ボディビルもバイトも恋愛も、何も望まなくなった。彼女や学校は存在していたが、それは「無」において何も望まなくなったからなのだろうか。大学時代「モデル事務所を紹介しようか」と言われたことがあった。本当なら喜んで紹介してもらうべきだったのに、沈うつ的消極に落ち込まされていた私は、バカなことにこれを断ってしまうのだ。これは本当に後悔だった。しかし、それはチャンスなのに、チャンスを取れなかった精神状態が最悪だったのだ。本当に最悪だったのだ。その最悪のまま、無に直面することもなく、いや直面していて、人と会えない自分は、学問に解決と人生の師匠と自分が生きられる場所を探してきた。モデルをやはりやりたいのだと悩み悩んで写真を送ったこともあった。全部帰ってきた。そんなこと、もはや過去のことである。どこか自分が活躍できる場所というのは、高校時代からやりたいと思っていたモデルだったのかもしれない。その一縷の希望すら絶望に叩き落されたことが兄貴の死によるのだ。

今の自分は自分のカルマが作ったという話は、寛容に考えてみても、当然とはいえるだろう。しかし、「双子の兄の死はなぜ私に起こったのか」という問いに対しては、
「ハイ、それはカルマだねぇ」などという軽々しい紋切り型の言葉なんかで言われたくはない。人とのつながりをたくさん持っておきなさい、友達をたくさん持っておきなさいなども当たり前だ。そのためには、自分の素をー沈うつ的消極性である私ーどのようにしたら友達ができるというのだ?そんなことは言われなくても分かっている。
俺には兄弟がいない。父母もいなくなれば、親戚とも縁遠い俺には、何を持っても頼るものはない。

「双子の兄の死がなぜ私に起こったのか」という問いに対して、
カルマならどんなカルマや因果応報があるのか、
友達を作るならどんな場所に行くことがいいのか。
仕事ならばどんな仕事が人との縁も増えつつ、人類みな兄弟のようにあれるのか。
そして、そのまま死ねるのか。

二十年前の問いに対して、いまだ、今を持ってしても、今まで考えてきて、実行してきたことですら、解決の材料にもなっていないし、解決はしていない。
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迷いや
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19で双子の片割れとなる。不惑にてまだ迷い、
冥界と現実世界を行き来し、いまだに形とならない創造力が俺を圧迫して、不安にさせている。誰からの許可が要るのだろうか。
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