~神への帰依の模様を日常からの問答から導き出します~
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完璧を求めないこと。
完璧とはどういう考えなのか。 まず、自分から」自分の体験、経験、想像のあらゆる限りを尽くして生まれてくる。 それは確かに正しい。 しかし、それは逆に言えば独りよがりである。自分だけの世界の完璧を求めている。 つまり、自己完結しているのです。 自己完結し、精一杯できたとしても、素人さんが作った作品とプロが作った作品は、何かが違います。 また、自己完結して、出来上がったものは、お客さんから不満とされることもあるかもしれません。 それは自分自身で完結していること。 それが原因。 完璧でも、完璧でなくても、他人から見れば「不出来」なものです。 だから、その手の人がいろいろ加わり、作るにあたっては「意見交換」をする必要があります。 わかりましたね。 完璧をもっていかなくても、完璧でなくてもいいのです。 むしろ、完璧でないものを意図して持っていくくらいがちょうどよい。 人も然り。 完璧な人間は、神様以外ないと思いましょう。神は完璧だから、人とは呼ばれないのです。 意図して不完全な人間として、人と接しましょう。 人の温かさがわかります。人と人とは個人の完璧性以外にも「つながり」「普遍性」をもっているのが分かります。 私はこれから不完全で生きていきます。 完全を求めすぎました。 理想は理想です。自分で理想を達成したとしても、それは人から見れば不完全に見えてしまいます。 ならば、いっそのこと、手を抜いて、「まあいいか!」という程度で、 お酒でも飲んで遊んでいたほうが、人生楽しいですよ。 メリークリスマス 私も神様から心へプレゼントをもらいました。 昨日は夢枕に神様がたくさんおいでくださいました。 地球の外で、七人くらい揃っていました。 「神様、お話をさせていただいていいですか」 と何度も話しかけながら、うとうとしてしまいましたが、 ハッと目が覚めたとき、すがすがしい感じがしました。 神様は、枕元にいてくださいました。 「神様、またお話させていただきたいです」 そう思い、いろいろなお話をしました。 恵まれない人々に合いの手を。。。 という意味分かってきました。 私は今、合いの手を差し伸べられません。 住まいがあること、布団があること、屋根があること、感謝いたしました。 ありがたいことだと思いました。 今の時期は私にとって、浄化の時期にあたっているようです。 --------------------------------------- 現実に戻りますが、 転職サイトから来るメールを眺めていると、どうしてもため息がでてしまいます。 あの理屈まみれの、生霊まみれの、利益拝聴主義、最も近い人が同僚や上司など ある視点から選別された人たちであること、どうしても入り込めません。ちょっと考えただけで吐き気がしてしまいます。利益を得るために、会社の組織に属し、イエスマンであり、、、、私には耐えられそうもありません。 神が選別してくれればよいのです。まで思っています。いささか、手前勝手です。 不完全であることは実は人間の真実かもしれませんね。 PR ![]() ![]() |
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19で双子の片割れとなる。不惑にてまだ迷い、
冥界と現実世界を行き来し、いまだに形とならない創造力が俺を圧迫して、不安にさせている。誰からの許可が要るのだろうか。 メールくださる方は、下のフォームまで。 ミクシイで絡みたい人は、連絡ください。 [PR]Samurai Sounds
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