~神への帰依の模様を日常からの問答から導き出します~
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数々哲学書を読んできたが、
自己の救済のために、主体的に キリスト教への入信 とは迷うものである。 自己の魂の救済のために、キルケゴール等を読むことから得られる神に対しての帰依はもっているつもりだ。 ここで葛藤している。 進めばいいのだが、キリスト教的信仰へ入信の前に、日本に日本人として生きている私は、神道に入信するのが妥当ではないか、とか、個人の救済としてある仏教に入門するのが筋ではないのか、と。 素直さが大事だから、 日本人だから、仏教、神道のどれかに入信する。のも素直だろう。 これまで読んできた思想的な結論としてのキリスト教への入信も素直な道である。 神と仏との違い悩んでいるらしい。 それは仏神合一というイデアによって、どこに入信するのかの選択肢があるということを示している。 文化的に・・・・・・というのよりも、現在の日本では「宗教の自由」が認められていることから、どの宗教に属するのかは、個人の自由である。 自由が悩ませるのだろう。 仏教に良くとすれば、仏教書をよく読んでいるわけでもないのに「キルケゴールを呼んで仏教にきた理由は?」と問答されるはずだ。 それは魂の救済が仏教の本質だからだ、と答えたとしても、「それならば、仏教書をあまり読んでいないのはなぜか」という問いになり、寡黙となる。 神道も、汎神論としてある神道に来るのはなぜか。神といったいであることは、自然といったいであることだからだ、と回答したとしても、それならば、神道の歴史を知らないのは何故ゆえか。となる。読んでいないのだ。 こうした資質を確かめる問答は私にはどうでもよいことだ。 入信の資格がないのであれば、入信はできないのであり、 入信できるところに従えばいいのだ。 となると、キリスト教的ー聖書 を読まなくてはならなくなる。 これまでの西洋哲学重視してきた研究から、聖書は自然と読めるだろう。 だから、聖書を読もうというのは正しいことになる。 聖書を入手したい。 それでいて、研究として、仏神合一、心神合一を仏教、神道、キリスト教の三つの視点から解読していきたい。 どこかに入らなければならないだろう。 PR ![]()
無題
教会じゃそこまで深くやらないです。
神学校で4年間、全寮制とかだったからお金も時間もかかります。 整体をやりながら占いっつーか、気功レイキをやる人がいますよ。 哲学科でても仕事はまるで別の人が多数だと思うけど、思想っぽいの大切にしてる仲間ならグラフィックデザイナーとか知人に多いっす。 ![]() |
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