~神への帰依の模様を日常からの問答から導き出します~
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神の恩寵が「見えるもの」であれば、それを目的に現実の行動をとるだろう。
しかし、神の恩寵は与えられていないと思うような次元のものであろうか。 答えは明確である。 神の恩寵は常に、大量に、一定に、万人に与えられている。 にもかかわらず、 それをつかむことも、見ることもできない、また、恩寵がないとすら思う人においては、 心、魂の視野が狭いのである。 魂の視野が狭いために、恩寵が一定しか見えないのである。 魂の視野が広ければ、肉体を持つこの現実世界へ降り注がれている恩寵が 手にとるようにわかるはずでもある。 決して、神はその恩寵を特定の人物だけに降り注いでいるわけではなく、 万人に一定に、しかも大量に降り注いでいるのである。 不幸を感じるのは、神の前に心・魂を開かないものだけである。 そして、それは私である。 PR |
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