忍者ブログ
~神への帰依の模様を日常からの問答から導き出します~
[17] [18] [19] [20] [21] [22] [23] [24] [25] [26] [27]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

三年や四年の目標ならがんばれるんですが、

一生の目標とか、家を買う目標とか、

とてつもなく遠い目標を毎日追いかけることは・・・・・・・・

一日一日、五千円貯金してゆくとかになりますか。

でも、不慮の事故とかありますし、生きている保障なんてどこにもありませんよね。。。

不安になりますね。

PR
エスパー伊東のブログは面白いです。

この人やはり芸人だけあって、天才要素がありますね。

素でいろいろと他人のことを考えていないところが

他人の視点で動かないー私はその逆ー

電話しました.一応保留扱いで穏便(^_^)に繋がりました..週5できるように自信ついたら…っていつになるのやらですが年末も近付きまた荷重が掛かります…日本はイベントが多過ぎるなあ 他人との付き合いを強制するからなあ,なんだかまいったわさ

自分の恰好見て日雇いに思えた
なかなか寝られず薬を飲んで酩酊したまま訳ワカリマセンデシタ…朝5時迄寝られずでした.やはり週5はまだまだ無理ですね.まだ電話してませんが,『動けばなにかが変わる』と動いたんですが,動くだけで力尽きましたね…後で電話しておきますか…円満円満
うつが社会的認知を得ているというのは実は虚妄ではないだろうか。

ハンセン病が認知を受けたとしても、現実にハンセン病のヒトを電車の中で見ることはない。

「被害者友の会」というのがよくある。

俺も「双子の片割れ友の会」というのを作ろうかと思っていたくらい、

当事者には孤独で虚空な生き様を、他の同じ境遇の人と共に「人間同士」であることを

分かち合えればと思ったからだ。

それと似たことは今、ネットでよくあるのではないか。

その一つが「うつ病」

うつ病友の会もあるだろうが、手軽に友の会に入れてしまうのが、

ネットで「うつ病」を検索すること。

うつ病や統合失調症は、精神病、精神分裂病と言われていて、

近寄りがたいものだったが、引きこもりさんがうつ状態で、うつ病と「社会的認知」を得ているのかどうなのかを確かめるために、検索してみると、、

でることでること

検索結果が大量に出ます。

これだけ検索結果がでると「うつ病かも」と半信半疑な人も

心療内科に行って、うつ病、うつ傾向と診断はされます。

医者も診断して薬出さないと、飯くえないですからね。。。

医者が問題ではなく、ネットで検索して気軽に自己診断できるところですでに、

会員制「うつ病友の会」条件 ネット使える人

という友の会ができているということです。

この段階で、会社の面接に行って、「なぜ前職をやめたんですか」という問いに対して「うつ病で」という人が多数存在していることを示すことにもなります。

しかし、実際は、うつ病が通用するのは、「ネットで検索」したときだけの「友の会」でのことで、面接にいっていたとしても、社会的認知は低いという事実に気付くのには、重責です。


実際他の疾患(腎不全、肝不全など)でもでますが、これは重度な疾患で、

生体検査などで鑑別診断されて、残るは死ばかりのみ、ということだから

当然、酒を飲みすぎて横断が出て、肝臓患部が痛いとか症状のある人なら

調べるでしょう。

そこまでネットは気軽なものですが、検索内容は当事者の関心からしか発生しませんから、仮性でも真性だとしても、調べますよね。

うつは、真性だとして、検索する力はないといいます。

他人にも接触したくない。だからネットも検索しないらしいです。

だから、孤独感はかなり高く、医師に言ってどうこうする問題でもないのが本当らしいです。



私は、ウツに対して自然治癒、自分で治すんだ!と思った時期がありました。

大学生の時です。そこまで、私はあの時は落ちていたのだ(友達と会いたくない、学問が面白い、彼女などに興味がない、わいわい騒ぐのは疲れるし、なにより話す内容が何もない)と思っていました。

20年近くたって、社会経験を少しずつ積んできて、話す内容は、世俗的なことも当時は臆していましたが、話すこともできるようになり、かなり話す内容を振るほうになりました。だから私と話していても多分、退屈はしません。

だからといって、それは「きわめて普通のこと」で、社会的生活を豊かにするための条件の一つではあるでしょうが、絶対条件ではないのです。

落ちていたといえる私は、大学卒業当時、就職がまったくできなかった私なんです。

まだ、バブルの落ちはじめで就職はかなりあったほうだと思います。履歴書もかなり書きました。コピーして出したり馬鹿なこともしました。しかし、当時は、私自身が生きることそのものに悩んでいて、就職、彼女どころではありませんでした。

当時遠距離で付き合っている彼女がいましたが、これがまたヒガミがひどく、
「私のこと都合の良い女と思っているんでしょ」と平気で言うものだから、
そのたびごとに心が痛んでいたんで、最悪な精神状態になっていました。
他人とのズレはここからも生まれているようですね。

でも一応、そんな彼女には縁を切ってしまい、哲学科、マッサージ学校に行くことになるのですが、やはり、自分の興味のことしかすすめませんでしたよね。

経済学部卒業
哲学科中退
マッサージ学校
(この履歴で転職サイト出で来るのは私です)

マッサージがここまで医療的に下のランク(医療にそういうのはないといいますけれど)で、社会的地位も低く、給与も低く、治療ではなく、モミ屋だとか認知度も悪いですとは思わなかったですが、私は純粋に 兄の死を 医学的な「死の定義」を学ぶことで乗り越えたいと思っていたんです。

だからマッサージがやりたいということではないんです。

私にとって兄を超えて、超えきって、社会に飛び込んでいけるためのものだったのです。

しかし、そうはいいながらも、仕事はしていておかしくない年にもなって、
やっとこ仕事についたのが、マッサージ。辛かったです。
教科書で医学を学んでいるほうがよっぽどいいです。これは今もそう思っています。

医学を教える人になれればなあと思うも、医師以外、本当にこればかりはできません。これは社会的地位が低いから、「疲れる仕事」「人のためになる仕事」など言われていますが、単純に認知度の問題と思っています。だからといって、私が認知度を上げるための勤めをするというのも世知に会いません。

介護支援マッサージというのがあります。寝たきりの人をマッサージ巡回していく仕事です。この間その面接に行きました。「一日拾人、九時から六時まで原付で走り回って、重症筋無力症、脳出血後遺症の寝たきりの人などをマッサージするのです。
私はこの仕事、金にはなると思っていたものの断りました。

理由は、モチベーションの問題でした。バイクで兄を亡くしているのに、目も悪い私がバイクで人のために死ぬというシュチュエーション、「死後裁き」にあったとき、私は嘘をついて仕事を善人の振りしてやっていることを、神に見抜かれることでしょう。
私は私の問題を通して学んだだけであって、「本心」で人の介護に当たりたいと思っていないからです。私は私の問題解決のために医学を学んだに過ぎないからです。
その資格を使えば、金になるよ、といわれても、首を立てに触れないのです。

そういう患者さんの写真も載せてある本があります。見ていると辛くなります。
することはできるけれど、この人たちは死んでしまう人たちなのだ。。。。
そう思うと、元気になってください、、、と悲哀に泣いている自分がいます。
なきながら毎日できない仕事ですよ。。。

私は、死は勝手なことに、「兄貴で御仕舞いにしたい」と思っています。でも、父も母も年取ってますから、無理なことなんです。

私がたしかめたかったのは「医学で死の定義」を通して、自覚を持ち、兄から離脱し、新しい世界ー内ー存在へと旅立てるかどうかでした。

結果。旅立てました。かなりのカルマ(半分は)消えていると思います。

死の定義を学べるのであれば、マッサージでなくても、看護師でも何でも良かったわけです。単に資格がおまけでついてきただけなのです。
ここで、解決!!!!!!!!っていけばドラマ何ですけれども、現実には、結婚もしてしまっているので、生活を立ててゆかなければならない現実問題に直面してしまいます。

正直、初めてマッサージに触れたとき、「なんて疲れるんだ」「なんてうるさい連中ばかりなんだ」と思ったものです。今も、「なんて疲れるんだ」は同じです。その割には給与は安すぎます。マッサージしている人は独身が多いです。理由は、「稼げなくて養えないから」です。単純です。
私はこの資格はスーパーフリーターとなるための資格だと思っています。
マッサージすれば自分くらいは、月給二十万円で生きていけますからね。

社会的地位や名誉、金銭を求めている人はなかなか難しいと思っています。
現に、その当事者がここにいますから。二人暮しで子供なし、当然ですし、月収二十万では二人暮しも危ういです。だからヨメ様には働きに出てもらわないとなりません。完全依存では無理なのです。

しかし、私もまだ 事務仕事 に拘りがありますし、金も高いですから、そういう事務職につきたいのではありますが、不況ということ、年齢という制限で落ちまくっています。
マッサージなら、まだ正社員の口はあるわけなのですが、反面、キツイ・ツライ・ヤスイです。正社員でも月収は変動するなんてありますか~取締役の報酬じゃないんですよ。。。。。

今回の件、今日の午前中電話しないとならないのですが、

実は昔お世話になったところで働くことになりまして、、、、そこがあまりお客さんが来ないもので、もしかしたら、見切りをつけてそちらにお世話になるかもしれませんが、そのときも又面接はさせていただけるでしょうか?

というつもりです。原稿をかいておいたようなものです。
本当にやりたいことは、医学や哲学、宗教を学ぶことなんですが、学ぶだけではお金になりませんし、、、、、、、いや、お金にすればいいんですが、、、、、、、
付録でついてきたマッサージをキツイ安いで嫁から、給与アップしてーといわれながらやることも非常につらいのです。

ここの面では、今、23歳なら、私は公務員になりたいと思います。
しかし、ここまでくるのに、20年もかかりました。。学校の経歴は華々しいですが、実質はまだまだ本当に、入社したての若者と同じです。
今から、二十年くらいしか働けないでしょう。
本当の四十歳になるには、実年齢は六十歳ですね。
そこまで心身尽くせる仕事が今ここで見つかればいいのですが。

このことを神様にお願いし、一日を終えたいと思います。
そういえば…手帳を見て見たら『研修中時給七百円』とあった.見てやる気失せました。

とりあえず週3でも働きに出る迄も神の導きです.
髪の毛一本迄分かっている の神様のこと

私がこうであることも分かっているのです.
面接にいった某マッサージ,明日は返事をしないとだが,まだ収入の件だけでなくマッサージする…週五…にたえられそうにないですな.週3で開いた日にちは就活のつもりが寝ていたりします,月末は一応給料ですが前借り引いて三万円が手持ちになりますかね…
少ないよ
週五は出来ないしなあ.かなり景気悪い見たいですね.しかしこの三ヶ月できめないとです。いや二ヶ月かな,(・_・、)か

ぶちきれた水晶もどりました.本当はバイト代でヒランヤ買いたいのですがどうかなあ.

これから向かうんですがね…身体がきちんとするまで勿体ないけれど週五の仕事はしないほうがよいですか?
しないほうがよいですよね…悩む時点で適合がないというわけです、はい
・マッサージ → なんとかが正社員で雇うらしい。仕事はあるということだが、、、またすぐにやめてしまうのではないか。不安

・ジム→年齢的に、又、ヨメが言うような本社勤務でないとならないということは、的を射ている。これは収入からいって当然の話である。しかし、道は辛いと思われるが、やってみて結果をもらってから考えられる余地はある。

・キリスト→不安、恐怖感を常に抱いている私は、自分の持ち前の漸進性を「神を求めること」に使い「神があるかどうか」や「何が信じるべき根拠か」ということに使うべきではない。神に不安を抱きながら進むのではなく、神とともに上昇するために持ち前の漸進性を使用するべきである。「私にとどまりなさい。私もあなた方の中にとどまります」で答えはもうでているのである。

・ウツと強迫神経症 →元来の気質に加えて、後天的な双子の兄の死によって、強調されたこの症状は、数々の人生の選択において、後遺症をもたらしている。この後遺症は、神によって救われ、神とともにあることで癒されるものである。

・前進と上昇 →前進とは未知を開拓してゆくことであり、上昇は神とともにある平安において、選択してゆくことである。二次元的なものが前進であり、三次元的なものが上昇である。

・仕事の選択 →三次元的なものを求めているにもかかわらず、実際の生活では二次元的な感覚になってしまっている。三次元的な上昇を求めたい。そのためにフィットネスクラブで働くことは善なることなのか。又、仕事は「肉体労働であれ、選択をしなければ」必ずつけるものであると確信している。

・ダメなものに対しての拘泥→ダメであることにこだわることは、過去の経歴からダメとされていること、そして、時代の流れが恐慌的になっていること、年齢的な生物的な制限からデススパイラルを生じている。年齢を超えられているのは、マッサージ。過去の経歴からは、マッサージ、フィットネス関係、時代は私の力ではどうしようもない。一つの中小企業の求人に東大卒などが履歴書を送ってくるというのであるそうだが、これは適切な選択をしていないからであり、自分がやりたいことを本当に見抜いていないからである。私が本当にやりたいことは、しかしながら、マッサージではない。哲学研究なのだろうか。私は、「人との間に虚無を感じ、宗教、哲学へ傾倒するものもある」と姓名判断などでは言われる。これは、「哲学宗教への傾倒をやめて合理的に、かつ、功利的にするべきである」ということではない。むしろ、占いというものは、当人の連続性である生命の前進性に対して、冷ややかに、虚無的に存在している。「宗教・哲学への傾倒の傾向」はまったく持って疑うことではない。それに対して、どうにかこうにかしようともがくあせることでもない。むしろ、当然そうだろうという認識でよいのである。
牧師になったり、神主になったりすることもその結果であるということもよいのである。

・問題は→私が孤独的に生きているということである。他人とのかかわりについては、「友達をたくさん作ると良いであろう」という占いによる判定がある。これは、「元来」他人との間に虚無を感じていることに対して「無理」なことを言っているのであり、私のような虚無的他者関係を感じているものに対して無力である。正しいのは「虚無的な他者関係」が先天的にあるということであり、これを超えられるのは神との合一、神とともに生きることにある。
とある「幸せをつかむ転職マニュアル」から抜粋です。
情報商品ですが、これはやっぱりな、、、と以前から思っていたことが、
確実にそうであったこと、書いてありました。

まず、一番分かりやすい例として、転職エージェントについてお話しましょう。

“登録すれば、希望に沿った求人案件を紹介してくれる・・・”
“企業と人材の橋渡し役的な存在・・・”

昔は職業斡旋会社と呼ばれていましたが、名前が変わっただけで中身は同じです。

利用した経験がある方なら分かると思いますが、このような会社には
“キャリアカウンセラー”とか“転職コンサルタント”とか名乗っている人がたくさんいます。


しかし、ハッキリ言って彼らの多くは、ただのブローカーだったり
ノルマを持っている営業マンのような位置づけである場合が多いです。


中には、感じがいいだけでビジネスの実務経験があまり無い人もいます。
そんな彼らに“コンサル”と言えるほどの、スキルは期待できません。

最悪の場合は、全てにおいて経験不足の新入社員が担当だったりします。

しかも、日本ではこの業界の国家資格が存在しないんです。


ちなみに、転職市場で活躍する人材ビジネス業というのは、採用したいクライアント企業と、
転職したい人との間に立つ仲介業だということはあなたもご存じでしょう。

このような会社は、クライアント企業からお金をもらい、
転職者にその企業に興味をもってもらうよう働きかけるのが仕事です。


早い話、求人企業からお金をもらうビジネスなのです。


従って、自分たちのサービスを使ってもらうことが大前提(第一目標)となるため、
質の良し悪しに関係なく転職者に売り込まざるを得ない状況が存在するのです。

転職業界でビジネスをしているプレーヤー、紹介会社やヘッドハンターなどは
あなたのために存在しているのではありません。


会社の利益のため、そしてクライアント企業のために存在しているのです。


このような、自称「転職のプロ」と言っている企業に勤める人たちの殆どが、
商売で転職支援をやっています。

だから、そういった「あなたを採用させたら○○万円手に入る」みたいな人と
一緒に仕事を探すと、必ずその人たちの思惑が入ってくるため、
100%自分のための転職になりません。

あなたがもし、そのような業者にいくら夢を語ろうが、目標を語ろうが意味がありません。

結局は、その企業にとってプラスとなる案件しか紹介してくれません。


いかにも、「あなたにとってベストな案件です。」のような切り口で
仕事を紹介されるでしょうが、それは、多くの場合、会社として何とかして
話を決めたい案件である場合が殆どです。

そして、自分が行きたいかどうかわからないような会社を受け、内定が決まったとしても、
あなたを待っているのは「転職するんじゃなかった」という後悔です。


喜んでいるのは誰でしょうか?

そうです。

あなたでもなく、企業でもなく、仲介業者だけなのです。


もちろん、中には優良な人材ビジネス会社もあり、
採用した企業も採用された個人も幸せになれる事もあります。

しかし、多くの場合は、人材紹介会社にはそのような内情が存在するのです。

でも、エージェントを利用する人の多くは、
ラクしたいがために彼らの言うことを自分から都合よく信じようとしてしまうのです。

だから、まずは本当に信頼できる人達だけと付き合う必要があります。
その上で、取引をこっちに有利に展開できるように話を進める技術が必要なのです。


仕事という人生を賭けたことですら、商売の道具になっているわけですね。
どうりで、人材紹介からはいいことがなかったように思えます。
特に、クビにされた某団体には、人材紹介が絡んでいましたからークビ以降、まったく連絡なし。こちらからなぜクビなのか情報を教えろと電話したくらいですー
この情報商材、私の得意技ー表面から真相を読み取るーで求職活動やっていきます。

やはり、マッサージアルバイトとはいえ、肉体労働はこたえます。

今の今まで寝てました。

薬を飲んで、よこになっていたら、

「自分がやりたいのは、マッサージではなくて、
フィットネスクラブなのではなかったか?」

と過去を振りかえってまともに見れた気がします。
ただ、薬でハイになっていたのかもしれません。

もともとウツ気質らしいですから・・・

感情的になる性格もわざわってしまうのも欠点だが、
過去を眺め見ると、どうしても怖い気がしてしまう。

マタイ10-28

からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことができる方を恐れなさい。
二羽のスズメは一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんなスズメの一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。また、あなたがたの髪の毛さえも、みな数えられています。だから恐れることはありません。あなたがたは、たくさんのスズメよりも優れたものです。ですから、私を人の前で認めるものは皆、わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます。しかし、人の前でわたしを知らないというようなものなら、私も天におられる私の父のの前で、そんな者は知らないといいます。



Designed by あでる Material by ARCHIMIX

忍者ブログ [PR]
カレンダー
04 2025/05 06
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
リンク
<a href="http://philosophy.blogmura.com/"><img src="http://philosophy.blogmura.com/img/philosophy88_31.gif" width="88" height="31" border="0" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログへ" /></a>
プロフィール
HN:
NinjaGPZ
性別:
男性
職業:
迷いや
自己紹介:
19で双子の片割れとなる。不惑にてまだ迷い、
冥界と現実世界を行き来し、いまだに形とならない創造力が俺を圧迫して、不安にさせている。誰からの許可が要るのだろうか。
メールくださる方は、下のフォームまで。
ミクシイで絡みたい人は、連絡ください。
バーコード
ブログ内検索
カウンター
フリーエリア