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~神への帰依の模様を日常からの問答から導き出します~
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野茂英雄と同じ年なんであるが、

野茂選手は大学出ではなかったように記憶している。

それで無くとも、あれだけの投手であり、資産もそれなりにあるんだろう。

一方、俺は、大学に一生懸命行けるように高校は勉強し、大学は兄の死をひきづりながら、だれからもメンタル的な手助けも受けられずに、「それでもガンバッテ卒業した」

だれも褒めない。卒業証書???頭にきてなくしてしまった。

俺は其の時点でヤケニなっていてたのかもしれない。

曲がりとおせば道になる

意地も通づれば通じる。

何の気なく大学でて、何も疑問も持たずに就職して今の年になっている人間は多数いるはずだろう。

やはり、何かが俺とそういう人たちとの間には違いがあると思う。

それを救い上げてくれる何者かは存在していない。

自分で自分の才能を発見し、進んでいくしかない。

困難極めているのは当然だ。

才能とは他者が発見し、他者が育てるものだ。

自分で才能を探してなんて、才能が無いのか、他人に分からない才能があるのかどちらかしかないのは明らかだ。

後者ということにしておきたい。

才能は世に出て、人の役に立つことで、金と引き換えられる。

金が多ければ人のためになっている、あるいは神の意志のとおりに生きているというプロテスタントの思考は資本主義に根深い。

さて、俺の才能とはなんであるのか。

今一度考えなければならない。

三笠フーズもうなぎ偽装も「金のため」ということで行ったことであるが、
社会に毒入りのものは望まれていない。しかし、奴らは金が入ったのは事実である。
隠されていたら毒入り焼酎を飲まされていたのだ。我々消費者は、ここにプロテスタントの思考の終末を見なければならない。それでも信じるのは、現実に即応していない拘泥である。
そんな奴らが金をもって、俺が毎月二万円とかの小遣いとはどういうことだ。
まじめすぎるから駄目だとか、判断し行動するができないから駄目だとか、ぜんぜんそんなこと関係ないじゃないか。だんだんと怒りがわいてきている。
俺も人をだまして、金をかせいでいいんだな??
「がんに効く飲み物」として水道水を売ってもいいんだな。

金は金回りのいい人にまとわり付いてくるらしいが、金があれば人生は豊かなのは否定できない。しかし、仕事も就けないとなると負の生き方しかできないか・・・

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19で双子の片割れとなる。不惑にてまだ迷い、
冥界と現実世界を行き来し、いまだに形とならない創造力が俺を圧迫して、不安にさせている。誰からの許可が要るのだろうか。
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