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~神への帰依の模様を日常からの問答から導き出します~
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人からよく「あなたは将来何をやりたいの」などと聞かれるし、
面接でもそんなことを聞かれることが多々ある。

たとえば、性転換したいと考えている場合、

言うだろうか。

言わずに自分で決めるのではないだろうか。
人に「性転換したいのだ」という直後から、「アドバイス」「援助」などを発していることと同じに成るのだ。言葉はその発された時点ですでに社会的意味を持っている。

あなたは何をやりたいの「私は宗教をやりたい」などとも言わない。
一般の会社人でまともな人間に対して、「宗教をやる」などという発想は思いつかないし、役に立たない言葉が返ってきて、やりたい気持ちをげんなりさせられることが大部分だろう。

これにあわせると、自分のやりたいことは何だという問いに対しては、正直申し上げるわけには行かない。コメント一つ無いこのブログからは、情報が入る可能性は皆無だからだ。それに「性転換」したいのと同じような内在的なものであり、他者からの介入を拒む絶壁が聳え立っている。

哲学をやりたいのだとしたら、一番できるのは、学閥や派閥などにまきこまれず、学生相手になんだかんだと管理的仕事をしなくても良い、「個人」でやることに尽きる。

だから、やりたいことをやっている。

やりたいことをやるための、本代、書籍代、食費が必要なだけなんだ。

性転換したい人が、そのための手術費用貯蓄のために、ドカタワークをしたとしても、社会の交通のため、なんてそんな領域の仕事では言ったりすることはない。
金のために体を使ってはたらく。そんな世界だからだ。

だから、医療に関わりたいのかどうなのか、ということは、金を稼ぐために医療に関わりたいということにすぎず、性転換手術したい人と同じように潜在的なやりたいことは人にはいわないのがスジになる。

そして、潜在的な満足感は、不満や不孝感などもまじえて、情緒満載の人間頭脳として機能していることに満足している。

だから、自分の人生は満足できるものだろう。

性転換は手術しなければ叶わない。
頭の中のことは、だれにもわからない。

そんなことがようやく一つ分かった。
これからまた先に進めてゆきたい。
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19で双子の片割れとなる。不惑にてまだ迷い、
冥界と現実世界を行き来し、いまだに形とならない創造力が俺を圧迫して、不安にさせている。誰からの許可が要るのだろうか。
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