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~神への帰依の模様を日常からの問答から導き出します~
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何をやろうとしてもだめだだめだだめだ!


家族のために働こうとしていることがそんなにだめなのか。

もう会社員で働くことはできない。

掃除はしない、料理はしない、寝てばかりいる、電気はつけっぱなし、
会社員時代もあさ、行ってらっしゃいもほとんどない。

何を持って夫婦なのか。


またこんなことでトラぶるのか。

あほくさい。

働くのがそんなに悪いのか。

ねんしゅうはっぴゃくまんなんてむ利だ。

俺の思うとおりにさせてくれないと無理だ。


無理無理!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!



神よ恩恵を与えたまえ
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保険の失効は嫁の責任だ。
その尻拭いをしていて、本当ならまだ保険もらえたはずなのに。
そのショックで、その後の二ヶ月にわたる寝込んで、、やっと職についたと思えば病状が思わしくなく三ヶ月でクビ

皿は洗わないし、飯は作らないし、自分で勝手に夜中起きているし、朝は飯はないし、
いってらっしゃぃもないし、それでいて家を建てるだとか、子供作るだとか、
できるわけねーだろ?

指圧は金にならないからやめてくれだと??

一度ひっぱたかないとならないかもな


元はといえば、保険を執行させた嫁のせいだ。

そうすれば、まだ疾病手当てが受給できたのに。

働いてください。

だそうだ。

矛盾していないか。
自分の非は認めない。

ただ、「働かない」俺のせいだという。

「働けない状態ではなかったか??????」

希死捻慮をもっていたのはなんだったのだ???????

それに対して生きる希望を持って?????

俺は神に帰依する。

それだけだ。

神に祈り、求めるものを授けてくれるよう祈る事が大事なのだ。

わがままもいい加減にしてほしい。
タバコも買う金がなくなった。

シケモクのタバコの葉っぱをはさみで切り取って、
紙に落として、下でぺろりとくっつけて一本すった。

タールも何もないから、きついが、まあタバコすった気分だ。

こんなことまでしなければならないことになっている。

イギリスでは、こういうタバコは売っている。

日本では売っていないのだ。

葉っぱだけ買って、紙を買って、自家製タバコを作るというのはないのだ。

それをしている。

ミンザイ三帖のんだが、お茶を飲みすぎて、相殺されていて眠れない。

今日は携帯電話一日きっていた。

もう疲れたのだ。

寝てもだるいし、欝だというのに、君は打つではないとか、

都合がよすぎる。

俺の具合は俺にしかわからない。
ねむくなったら寝るとしよう。

それしかない。

11/3に指圧の面接になった。

これで決まれば、それに働きに行くつもりだ。

ただ、月二十五万稼げるのかどうなのか、確認しておかなければならない。

これは家計に入れる金だから、一円でも高い金にしなければならないのだ。

当然正社員や。

10時から10時まで勤務だと。実働八時間らしい。
多分九時間高速だろう。

社員になって、手取り二十万円とは、嫁をもち、子供をもくろみ、住宅を立てるということに対して、まったく非力である。

ただ、食い扶持を探すのみの行動。

たぶん、給与が安すぎるという嫁からのクレームもあるだろう。

しかし、これが俺なのだ。

我慢してもらわないとならない。
ようやく目が覚めました・・・・・

ミンザイが聴きすぎて、なかなか起きてもしゃっきりしなかった。

これで電話係りまくりならもう失禁状態です。

てなわけで、依然携帯は電源オフ

たまにはいいよな。人生のうち草々ない。

日曜日が楽しみです。
洗礼とまではいかなくても、教義をゆっくり聞きたいと思います。

就職用に専門雑誌を昨日注文しました。
まあ新橋でもいいんだけどね。。。。
一応ほかも見てみたいので、「探して出てきた図書カード」を使って買いたいと思います。

二週間に一度は週休二日という条件を引っさげて、
履歴書作って(もちろんワードで)
写真はコピーして(もちろんプリンターで)
職歴書はいらないそうですよ。

正社員ならこきつかわれるのでしょうかね。

めざせ、、、、、、、、、、二十五万ですが。。。。。。

日曜日は教会なので休ませてほしいということで言います。

さて、神推薦の店舗はあるのでしょうかぁぁぁ

今週の日曜日、教会に行ってきます。

牧師になろうかと思ったんですが、
神からの招聘がなければなれないということは、
私はその資格がないということですかね。

まあまだわかりません。

キリストの教義もまだ理解していないうちにそんな俗的な目標を持っていても仕方ありません。

問題は魂の救済にあるからです。

困ったときの神頼みではなく、
神とともにあることが確証できる人生。

それがなければ、多分、私はまた空中楼閣を彷徨ってしまうことでしょう。

朝からお茶がうまいです。
またウザが戻ってきた。

どうたい゛、ビズねすにもどらないか。

というより、明日の食いぶちを探すのが必要だと何度言わせりゃわかるんだよ。


ということで、携帯は電源オフ

ロヒプのんで、三時間で目が覚めて。

ぼやーとしています。

キャッシングして使いまくった時期があった。

気晴らしが行き過ぎたのである。

一年以上前なのにもかかわらず、まだ10万円も残金があるという。

どういう計算でそうなっているのか。

振込用紙をもらって、電話で月一万円の返済にしてください。

という。

まだ十ヶ月もこれにつきあわなければならないのか。

汚点に。。。
『天におられるお父様。
あなたのきよい御名があがめられますように。
10 あなたの御国がいま来ますように。
天の御国でと同じように、この地上でも、
あなたのみこころが行なわれますように。
11 私たちに必要な日々の食物を、今日もお与えください。
12 私たちの罪をお赦しください。
私たちも、私たちに罪を犯す者を赦しました。
13 私たちを誘惑に会わせないように守り、
悪い者から救い出してください。アーメン。』
私の父は、双子の兄がなくなったことにおそらく倫理的な、あるいは精霊的な、更には、因縁的な意味合いを感じ取っているだろう。

私が、大学の卒業論文に「宗教における合理主義と非合理主義」という題材を選んだのについて、「宗教の研究をしてきたのか!」と声を荒げたのである。

父も宗教に関心はもっているはずだ。

その私は、宗教に入ること、また日曜礼拝などに参加したいと思っていたが、

父は、「宗教生活よりも実直な生活」を望んでいたらしく、父に許可などは求めたことはないが、なにか仏教にしろ宗教というものに触れてはならないような雰囲気をかもし出していた。父は、雰囲気から仏教的な感じを受ける。

母はどうかわからない。自己倫理を形成するには力があるのか、自己解決しているのか、わからない。母こそ、いろいろ考えているはずなのである。

父には宗教に入ることをすごく言われた。

フリーターしていて、消息を立ったことがあって、連絡がついたとき、
父が言ったことは「お前が変な宗教に入ったんじゃないかと心配したんだぞ」

という言葉であった。

この言葉からわかるように、「父は私が双子の片割れで、精神的に不安を抱えており、救済を求めていることを知っている」ということだ。

うつ病で会社を辞めるときも、医学的な病状を理解していないとかではなく、この双子の兄が死んだことに対しての弟の心情を察して、特に何も言わなかったのだ。

だから、宗教は 厄介でもあり、布石点でもある。

その次元は父とのためにではなく、まったくもって、

俺の精神・魂の救済のために行い、神の元に帰依するということを哲学から知り、
宗教的な入信をしようと思うことが、父の心配を何かにするということではない。

変な宗教にははいらない。キリスト教に入信する。

神と友にあるという教会に行くことで、一人でいれば、金、将来、未来などで苦渋になってしまい、神を考える精神状態になれないから、強制的に教会へ行き、そこで、
神と一体になりたい。

見えない父と私との戦いは、兄の死によって「宗教」という形で現存している。

しかし、キリスト教者だからといって、何か特別なことをするわけでもないのであり、個人の救済のために人生の時間を教会で少し費やすということ、教義を教わることである。

俺個人は、神に帰依して生きて生きたい。

それをすることができる場所として、キリスト教教会での場所を選んでいくということだ。
数々哲学書を読んできたが、

自己の救済のために、主体的に キリスト教への入信 とは迷うものである。
自己の魂の救済のために、キルケゴール等を読むことから得られる神に対しての帰依はもっているつもりだ。

ここで葛藤している。

進めばいいのだが、キリスト教的信仰へ入信の前に、日本に日本人として生きている私は、神道に入信するのが妥当ではないか、とか、個人の救済としてある仏教に入門するのが筋ではないのか、と。

素直さが大事だから、
日本人だから、仏教、神道のどれかに入信する。のも素直だろう。
これまで読んできた思想的な結論としてのキリスト教への入信も素直な道である。

神と仏との違い悩んでいるらしい。

それは仏神合一というイデアによって、どこに入信するのかの選択肢があるということを示している。

文化的に・・・・・・というのよりも、現在の日本では「宗教の自由」が認められていることから、どの宗教に属するのかは、個人の自由である。

自由が悩ませるのだろう。
仏教に良くとすれば、仏教書をよく読んでいるわけでもないのに「キルケゴールを呼んで仏教にきた理由は?」と問答されるはずだ。

それは魂の救済が仏教の本質だからだ、と答えたとしても、「それならば、仏教書をあまり読んでいないのはなぜか」という問いになり、寡黙となる。

神道も、汎神論としてある神道に来るのはなぜか。神といったいであることは、自然といったいであることだからだ、と回答したとしても、それならば、神道の歴史を知らないのは何故ゆえか。となる。読んでいないのだ。

こうした資質を確かめる問答は私にはどうでもよいことだ。

入信の資格がないのであれば、入信はできないのであり、
入信できるところに従えばいいのだ。

となると、キリスト教的ー聖書 を読まなくてはならなくなる。
これまでの西洋哲学重視してきた研究から、聖書は自然と読めるだろう。
だから、聖書を読もうというのは正しいことになる。
聖書を入手したい。

それでいて、研究として、仏神合一、心神合一を仏教、神道、キリスト教の三つの視点から解読していきたい。

どこかに入らなければならないだろう。



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迷いや
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19で双子の片割れとなる。不惑にてまだ迷い、
冥界と現実世界を行き来し、いまだに形とならない創造力が俺を圧迫して、不安にさせている。誰からの許可が要るのだろうか。
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