~神への帰依の模様を日常からの問答から導き出します~
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悩んでいます。
兄貴がバイクで死んでいるにもかかわらず、 少しでなくとも事故の可能性のあるバイクでの仕事。 事故すれば、親も悲しむ。嫁も。 そこまでして老人介護したいのかというと・・・・・・・・・・・ 金は魅力的だが、事故は魅力的ではない。 仕事もほんとうはあまりやりたくはない。 糖尿病昏睡の人をマッサージするとか、 寝たきりの人をマッサージするとか。。。。 あまり、病気の人には触りたくはない。 医療者としては失格だが、医療者としてはあまりにも選択肢の狭いものだ。 看護師ではないから、これで高給与であるならば「我慢してやる」 が、それに加えて「事故」という危険性もある。 さっきも書いたが、あわてて飛ばさないとならないときもあるし、追突されることもある。道すがらがよくわからないし、コンタクトだとよく見えないので、その辺も不安なところだし・・・・・・・ かといって、事故の可能性がない、接骨院での常勤も、 月から土曜まで働いて、月収二十五万というのもイタダケナイ。 手取りで二十五万ならまだしも、額面でこれはかなりいたい。 ジムにもいけない。 とりあえずバイトという形で、週四回位働くというのはどうだろう。 やはり、バイク→死 という考えがついて周り、 仕事を選ぶ際にも、これまでもそうだったのだが、こういう車、バイクで仕事するのは避けてきた。 今もこれはついて回っている。 凋落しても体は無事であるべきだ。 借金しても息子は息子。 悪事を働いても息子は息子。 しかし、どんな息子でも死ねばみな同じ亡骸。 俺の親はそれで一度苦しんでいるはずなんだ。 俺が同じ苦しみを提供するわけには行かない。これは俺の親孝行でもあるんだ。 たぶん親はわかっていないと思うが。 さて果て困ったものだ。 また同じ悩みだ。 「同じこと繰り返して悩んでいる」 とか人にいわれても、こういうのが根底にあるから、 回避できないのだ。 精神的に構造がおかしいのはこういうストッパーがあるからだ。 親に対して子である、生きている子供であること。これが第一。 嫁と離婚しようが何しようが、自分は生きていること。 そのために、仕事では車バイクを使用したものには就かないこと。 そう決めたのだったら、答えはもうすでに出ている。 それをまた友人に俺が言うものだから、口論は避けるにしても、 結果的に、俺が 「てめえの知ったことか。」 となる。 相談はしない。 だから、もう親しい友人にも誰にも相談せず自分で決めようと思う。 PR ![]() ![]() |
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19で双子の片割れとなる。不惑にてまだ迷い、
冥界と現実世界を行き来し、いまだに形とならない創造力が俺を圧迫して、不安にさせている。誰からの許可が要るのだろうか。 メールくださる方は、下のフォームまで。 ミクシイで絡みたい人は、連絡ください。 [PR]Samurai Sounds
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